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ケミカル素材を加工する。二人の仕事は神戸時代と変わらない=和歌山県中辺路町
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ケミカル素材を加工する。二人の仕事は神戸時代と変わらない=和歌山県中辺路町

ケミカル素材を加工する。二人の仕事は神戸時代と変わらない=和歌山県中辺路町

ケミカル素材を加工する。二人の仕事は神戸時代と変わらない=和歌山県中辺路町

■堀内三日雄さん(71)トシコさん(62) 和歌山県中辺路町

 幹線道路をそれ、車一台がやっと通れる山道をしばらく上ると、小さな作業場からミシンの音が聞こえてきた。

 和歌山県南部の中辺路(なかへち)町。熊野古道がある人口約四千人の町に、堀内三日雄(みかお)さん(71)、トシコさん(62)夫婦が暮らす。阪神・淡路大震災後の一九九五年三月に神戸から引っ越してきた。ケミカルシューズの素材を加工し生計を立てる。被災地と中辺路町。二つの地は、どんな道で結ばれたのか。

    ◆

 自宅を兼ねたケミカル工場は神戸市須磨区常盤町にあった。震災で炎にのまれ、全焼。取り出せたのは娘二人の晴れ着だけだった。地域は区画整理の対象となり、三日雄さんは権利関係の複雑さから再建には時間がかかるだろうと思った。

 取引先の靴製造会社が中辺路町に工場を持っており、その近くで暮らさないかと誘われた。そのころ、当時の村山首相は「被災者に個人補償はしない」という見解を示していた。生活していくには仕事を確保しなければならない。再建が長引けばそれだけ苦しくなる。首相の言葉で見切りをつけた。夫婦は神戸を離れる決断をした。

 段ボール五箱分の荷物を持って、中辺路町の公営住宅に入居。翌日から取引先の工場の一角を借りて仕事を始めた。

 「懸命に働いたから嫌なことも忘れ、くよくよしなかった」とトシコさん。翌年には土地を買って家を建て、本籍地も移した。この町に住み続けるという決意表明でもあった。

 三日雄さんは自宅を建てるとき、銀行で震災被災者向けの融資に利子補給する制度について尋ねた。「そんな制度は和歌山にございません」。担当者の言葉は今も忘れない。兵庫県の復興施策のため、県外での再建には認められなかった。

 穏やかに話していた三日雄さんが、この話題のときだけは語気を荒らげた。「なぜ、県外に出ると被災者でなくなってしまうのか。好んで出たのと違うのに」

    ◆

 最近、将来の暮らしに不安を感じる。不況でケミカルの仕事が減り、売り上げは神戸時代の四分の一まで落ちた。この夏には三日雄さんが狭心症の心臓手術を受けた。

 「神戸の復興住宅は空いてるのかな。家賃はどのくらい」。三日雄さんが真顔で聞いてきた。

 「正直言って帰りたい気持ちもある。神戸は最高にいい町やからね」

 日暮れ前、三日雄さんが自宅の石垣を案内してくれた。「河原から石を拾ってきて、二、三年かけて自力で造ったんや」

 一つ一つ積み上げ、和歌山での暮らしを築いてきた夫婦の十年を象徴しているように見えた。

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 震災後、多くの被災者がさまざまな事情で県外に一時避難した。あの日からまもなく十年。帰れた人もいれば、“わがまち”への思いを募らせながら、帰ることをあきらめた人もいる。県外被災者の「軌跡」を追った。

2004/12/19
 

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