■来馬延好さん(65)千里さん(61) 八尾市→神戸市東灘区
一九九八年四月五日。
明石海峡大橋が開通したこの日を、来馬延好さん(65)、千里さん(61)夫妻は忘れない。三年かけて店の再開にこぎつけた記念すべき日だから。
「この街でもう一度商売ができる」
高揚感は今も鮮明に覚えている。
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神戸市東灘区甲南町の鳥料理店「とりよし」。夫を戦争で失った延好さんの母が、戦後すぐに甲南市場に開いた鶏肉店が原点だ。
改装したばかりの自宅兼店舗は震災で全壊。市内の仮設住宅を申し込んだがはずれ、大阪・八尾市の仮設住宅に逃れた。
八尾で過ごした一年五カ月。二人にはどんな時間だったのか。
千里さんは信貴山に登ったり、自転車で八尾の下町を散策。バス旅行も楽しんだ。
「部屋に帰って明かりをつけると、すぐにお向かいさんから電話が入るの。『お好み焼き作ったから食べよ』って」。厳しい暮らしの中での懐かしい思い出だ。
延好さんは大阪市内の鶏肉卸問屋で働いた。過労で倒れ、入院したこともあった。「仮設時代は暗かったなあ」。ぽつりとつぶやいた。
夫妻が八尾にいる間、甲南市場の再建は遅々として進まなかった。震災翌年に組合は解散、アーケードも取り払われた。
全店舗が倒壊したすぐ近くの新甲南市場は、跡地に共同ビルを建てるプランがまとまった。甲南市場でも同様の再建案が持ち上がったが、建物が一部残ったため、話し合いは難航。その間、廃業、独自再建と再建案から降りる店が相次いだ。
一九九七年、新甲南市場は再建を果たした。
「震災前はこっちの方が強かったんやで」。延好さんの表情が曇った。甲南市場の共同ビルは同じ年、幻と消えた。
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「とりよし」の裏手にはレンガ敷きの路地がある。かつて三十数件が軒を連ねたが、今は数軒のみが営業を続ける。在りし日を忍ばせるのは、路地と市場の名前が残るバス停だけだ。店のローンはあと十年続く。
「自分から鶏を取ったら何も残らん。借金が励みですわ」
返済を滞らせたことは一度もない。堅実な商売を守ってきた延好さんのささやかな誇りだ。
夜は近くに住む二男の昌幸さん(31)が店を手伝う。いずれ三代目を担ってもらうつもりだ。鳥インフルエンザで春先は冷や汗をかいた今年も、夏あたりから順調に盛り返した。忘年会の予約も昨年を上回っている。
「あと十年は頑張らんとな」
意気込む延好さんに、「私は五年で引退させてもらいます」と千里さんは笑顔で混ぜ返した。
2004/12/25