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(3)752通 「支援法」議員に迫る
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サロン クラシック曲が流れる喫茶室。生活再建援助法の草案はここで生まれた=芦屋市船戸町
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サロン クラシック曲が流れる喫茶室。生活再建援助法の草案はここで生まれた=芦屋市船戸町

サロン クラシック曲が流れる喫茶室。生活再建援助法の草案はここで生まれた=芦屋市船戸町

サロン クラシック曲が流れる喫茶室。生活再建援助法の草案はここで生まれた=芦屋市船戸町

96年6月

 大きく、力強く、筆ペンを走らせる。「〒100 東京都千代田区永田町…」

 山村サロン。オーナー山村雅治(55)が独特の書体で封筒にあて名を書いていく。送り先は衆参の全七百五十二議員。肩書はあえて外した。党派を超え、一議員としての賛同を求める「親書」の形にした。

 封筒に入れたのは、小田実らが約一週間前に草案を完成させた生活再建援助法案。阪神・淡路大震災の全壊世帯に最高五百万円を支給する-などの内容で、弁護士伊賀興一(59)による解説を添えた。さらにもう一通の書簡で、この「市民立法」への賛否を問うた。

 震災から間もなく一年半。首都など被災地外では震災の「風化」が急速に進んでいた。山村が心の中で議員に呼び掛けた。

 「さあ、あとはあなたたち次第だ」

 山村サロンは一九八六年、地域の文化拠点を目指してJR芦屋駅前の再開発ビル内に開業。約三百三十平方メートルのフロアに、能舞台がある多目的ホールや、喫茶室を備える。クラシックコンサートを中心とした多彩な催し。「たった一人の市民運動のつもりで始めた」。山村が述懐する。

 小田が活動する舞台にもなった。代表を務めた「良心的軍事拒否国家日本実現の会」や、「市民の意見30・関西」-。出席者の一人は、小田の議論の進め方を懐かしむ。「どんな理想論にも、『いいじゃない、やってみなよ』。決して否定しなかった。全員が本音をぶつけ合った」

 小田は、山村から文芸講座の専任講師に招かれる。一九九一年から年に一回程度。哲学者の故久野収らをゲストに呼び、文学や平和について語り合った。

 震災後、山村サロンに「市民=議員立法実現推進本部」事務局が置かれ、被災者やボランティアら多くの市民が出入りする。フランスの宮廷や貴族の邸宅での集まりから発し、後に政治談義も交わされるようになった「サロン」。山村は「震災を経験し、真のサロンになった」と実感する。

96年7月

 月末までに賛同する返答を寄せたのは十七議員。沖縄県選出の参院議員照屋寛徳から発送の二日後、サロンにファクスが送られた。「市民立法に賛同し、可能な限り協力する」

 被災地からも、社民党とともに連立政権を支えるさきがけの所属議員から返答が届いた。しかし、連立の要、自民の議員からはなかった。

 全議員の2%。伊賀は今後の行方に期待をつなぐ。「現実味が出た。この調子で賛同者を集めれば、あなどれない力になる」

 小田と山村は物足りなさを感じた。「もっと世論を盛り上げよう。そうしないと、彼らは動かない」

 小田らは、運動の足場を徐々に東京へと移していく。市民に直接訴えるため有楽町などの街頭に立った。

 山村サロンで昨年十月、震災で中断していた文芸講座が十三年ぶりに復活した。講師は小田の妻、玄順恵(ヒョンスンヒェ)(54)。国籍や国境の意味を問い掛け、三カ月前に死去した小田にも触れた。

 「小田はこのサロンで、人々が同じ地平に立ち、対等で自由に話せる『アカデミア』をつくろうとした」

 学生時代から世界を旅し、アカデミアを生んだ古代ギリシャに民主主義の原点をみていた小田。「その遺志を継ぎたい」。玄が静かに語った。

(敬称略)

2008/1/13
 

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