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(6)歩む 次代につなぐ「決意」
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父と ならは、母玄順恵の母国語で「国」の意味。両親がよく出掛けた「奈良」にもちなむ=西宮市大浜町
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父と ならは、母玄順恵の母国語で「国」の意味。両親がよく出掛けた「奈良」にもちなむ=西宮市大浜町

父と ならは、母玄順恵の母国語で「国」の意味。両親がよく出掛けた「奈良」にもちなむ=西宮市大浜町

父と ならは、母玄順恵の母国語で「国」の意味。両親がよく出掛けた「奈良」にもちなむ=西宮市大浜町

95年1月17日

 街は無残に壊れていた。

 神戸大四年の梁龍成(ヤンヨンソン)は息をのむ。卒業を控え、神戸市灘区森後町の下宿を一カ月前に引き払い、大阪市平野区の実家に移っていた。友人らの安否を確認するため被災地に駆け付ける。

 住み慣れた三階建てアパートは崩壊し、後輩が負傷した。周囲を見渡すと、あちこちで火の手が上がる。倒れた家屋の下に生き埋めになった大勢の人。「誰か、手伝って」。がれきの中から引きずり出すが、息はない。その繰り返し。遺体の「重み」が手に残る。

 一緒に学んだ友人三人を失った。「これは生かされた命。大切にしなければ」。梁は心に誓う。

 「民権塾」-。被災者支援をめぐる「市民立法」にかかわった弁護士伊賀興一(59)が昨秋、大阪市内の事務所で勉強会を立ち上げた。メンバーに指名したのが弁護士になった梁(35)だ。

 「障害者や外国人、薬害被害者ら細分化された人権ではなく、市民の権利の根元を問う場。大正デモクラシーのように」という。

 「災害基本法」「市民安全法」の創設など多様な「民権」を取り上げ、政策提言につなげていく。小田実らと取り組んだ「市民立法」を発展させる流れだ。

 梁が伊賀の事務所に入ったのは、偶然目にした求人案内から。「法律家としてここなら震災の経験を生かせる。運命を感じた」

    ◆

 十三年前。小田の長女、なら(22)は、西宮市内の自宅近くで家屋が軒並み倒壊した惨状に声を失った。当時、小学三年。つぶれた建物の前には連絡先を記した紙が張られる。「一家四人、ここに眠る」。今も、自転車で通るたび「1・17」を思う。

 「市民立法」に挑む父の背中を見続けてきた。

 こんなやりとりがある。

 なら 「アッパ(韓国・朝鮮語で父の意)、しゃべるの得意だよね」

 小田 「ベ平連(ベトナムに平和を!市民連合)で鍛えられたんだ」

 ならの目に「人前で話すことが苦手で、運動が好きでもなかった」と映った小田。しかし、弱音を吐くことなく走り続けた。

 ならは、父の足跡からこう学ぶ。「誰もが不可能と考えた法律ができた。結局、やってみなけりゃ分からないという、言葉の本当の意味が分かった」

 今春、大学院に進む。研究対象は、文化人類学の一環で、ベトナムをフィールドにしたハーブ医療。「ベ平連」を通じて小田がかかわった国だ。「父が生きていたら選ばなかった。父の枠内にいるような気がするから」

 ならも自身の生き方を模索する。「まずは研究で専門性を追求していくこと」。そこから、ならにとっての「やってみなけりゃ分からない」が始まる。

    ◆

 昨年夏、都内で営まれた葬儀の後、哲学者鶴見俊輔が「サルトル以来」と評した追悼のデモ行進が行われた。死の一カ月前、医師から「気掛かりは何か」と問われ、「日本」と答えた小田実。この国をつくるのは、一人一人の市民-という決意を行動で示した。震災から丸十三年。小田のまいた種は今、多くの人の心に芽吹いている。(敬称略)

(記事・木村信行、小川晶、金旻革、写真・山崎竜)

=おわり=

2008/1/17
 

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