竹筒に切々と思いを込め、こう書いた。
「祈り 小田実」
神戸・三宮の東遊園地で十七日に催される「阪神淡路大震災1・17のつどい」に二人の被災者が参加する。西宮市薬師町の切畑輝子(68)と、大阪市住吉区の佐々木康哲(52)。竹筒にろうそくを入れて会場にともす。
二人は震災後、小田らと公的支援をめぐる「市民立法」に取り組んだ同志。佐々木は「小田さんが百人いても法律はできない。名もない普通の市民がいたから動いた」と振り返る。
二人が忘れられない小田の笑顔がある。冬の夜。神戸で運動の仲間十数人と鍋を囲んだ時、小田が一人一人に職業を尋ねた。トンカツ店経営、鉄工所勤務、八百屋主人…。「へぇ-」と相好を崩した。
中学生のころ、小田が中心になった「ベトナムに平和を!市民連合」のデモに参加したことがある佐々木。「普通のおっちゃんやおばちゃんが集まって運動しているのが、よほどうれしかったんやろ」
◆
97年11月
アパートが全壊、甲子園浜の仮設住宅に入居していた切畑は、テレビに釘付けになる。「被災者に公的支援を」-。デモの先頭で小田が声を張り上げていた。
明日が見えず、パチンコに明け暮れる日々。「私がやらないかんの、これやん」。「公的援助法」実現ネットワーク(神戸市)に電話する。「足手まといにならんやろか」。「ぜひ来て」。数日後、東京行きのバスに乗り込み、翌朝には国会前でビラ配りを始めた。
小田らがまとめた生活再建援助法案をたたき台にした「災害被災者等支援法案」は五月、賛同議員によって参院に上程された。だが、自民や政府は「個人補償」につながる内容に難色。一度も審議入りしないまま、継続審議になっていた。
「このままでは廃案」。ネットワークの中島絢子(67)らの呼び掛けで、多くの被災者が国会に向かった。
震災でけがをした左足を引きずりながら、佐々木らとともに議員会館の各部屋を順番に回る切畑。それまで遠巻きに見ていた議員の対応が変わってきた。
「これからも来なさい。もう一歩じゃないの。あきらめたら法律なんてできないわよ」。女性議員が国会内のトイレで声を掛けた。
「輝ちゃんは一人でも始められるし、一人でもやめられる。それが市民や」
切畑は九八年、「市民立法」が生活再建支援法として成立したのを機に「私にできるのはここまで」と運動から身を引く。小田は慰留せず、ねぎらった。
その後も切畑は震災と向き合う。翌年、愛猫と暮らす復興住宅の自治会長に就任。「1・17のつどい」にボランティアとして参加し、九年目を迎える。
毎年、数万個のろうそくと竹筒七千本を用意。使った竹筒は炭にして販売し、運営資金に充てるなど一年を通じて活動する。
今回も準備に追われた。ろうそくの型にするプラスチック容器が不足し、昨年暮れから自宅近くの商店街を探して歩いた。
当日は、胸に白字で「1・17」と書いた黒のウインドブレーカーを着て参加する。昨年八月四日、都内で営まれた小田の告別式に参列した時と同じ格好で。震災で亡くなった六千四百三十四人と小田に、佐々木と祈りをささげる。
「私には、あの場所でまだやることがある。だから、やめられない」。震災十四年目への決意をさらりと話した。(敬称略)
2008/1/14