国道2号と夙川が交わる辺り。西宮の住宅街の一角で、灰色の壁に大きなひび割れを見つけた。震災が残した傷跡だ。白ペンキで発生日時が書いてある。
冬の日だまり。穏やかな風景の中、ここだけ時が止まっている。
この場所で親子体操教室を開く米田和正さん(60)は言う。あの日、教室は遺体安置所になり、避難所にもなった。生と死は紙一重だった。「自分は生かされている。毎日をしっかり生きたい。それを忘れないため壁を残したんです」
この年、私は神戸市垂水区に住んでいた。あれから15年。今年も1・17前後に多くの被災者に出会い、痛みに触れた。
だが、復興する町並みの中で見失っていったものはないか。米田さんは「住む人も代わり、震災を知らない人も随分増えた」と言う。
「あの日を忘れていないか」。壁がそう問いかけてくる。(山崎 竜)
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阪神・淡路大震災から16年目。まちを歩き、住民の思いや祈りが伝わる被写体にカメラを向けた。
2010/1/20