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(2)集落移転 情報不足 立ち往生の住民
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約半分だけが移転促進地域となった集落。残る住民は孤立感を抱く=宮城県亘理町(撮影・斎藤雅志)
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約半分だけが移転促進地域となった集落。残る住民は孤立感を抱く=宮城県亘理町(撮影・斎藤雅志)

  • 約半分だけが移転促進地域となった集落。残る住民は孤立感を抱く=宮城県亘理町(撮影・斎藤雅志)

約半分だけが移転促進地域となった集落。残る住民は孤立感を抱く=宮城県亘理町(撮影・斎藤雅志)

約半分だけが移転促進地域となった集落。残る住民は孤立感を抱く=宮城県亘理町(撮影・斎藤雅志)

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 安住の地が決まらない。東日本大震災の津波で浸水した集落では、高台への集団移転話が持ち上がる。だが、移転先、土地の買い取り価格、支援策、日程…などが見えない。住民たちは情報に飢えていた。

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 宮城県気仙沼市。唐桑半島(からくわはんとう)に近い只越(ただこし)地区は約120世帯のうち、入り江の38世帯が津波で家を失った。背後に山が切り立つリアス式海岸。住民たちは集落の移転先として、その山の一つを宅地造成するよう市に求めている。

 「ともかく、早く決めてもらいてえ」。2月26日、約30人の住民が仮設住宅から地区内の福祉施設に集まり、順番に思いを語った。焦る理由の一つは住民の高齢化。参加した女性(56)は「年老いた義父母のためにも早く落ち着きたい。一緒に移転したいが、時間がかかるようなら、自分で土地を見つけて建てるしかない」とうつむいた。

 同地区には昨年9月以来、兵庫県の支援事業として、神戸市中央区のNPO法人「神戸まちづくり研究所」の理事野崎隆一さん(68)らが派遣されている。阪神・淡路大震災の経験から復興まちづくりに住民参加の大切さを説き、一人一人から意向を聞く。

 自宅と商店が被害に遭った亀谷拓也さん(54)は、更地の広がる入り江で店を再開した。「行政から地区の将来について何の説明もなく、困っていたとき、神戸の人たちが知恵を貸してくれた」。散り散りになった住民の名簿を作り、集会の案内を出す。自らも車で30分ほど離れた先で仮住まい。「本当は、この更地でいいから早く家を建てたい。でも、地域あっての自分。勝手なことはしたくない」。絆を守ろうと必死だ。

 同地区のように高台移転を目指して「防災集団移転事業」を検討する集落は、東北沿岸で200以上に及ぶ。「手助けする専門家が不足し、情報もない。住民は孤立し、混乱している」。野崎さんは懸念する。

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 宮城県亘理町。約60世帯が暮らした大畑浜北地区は震災後、海に近い約半数の区域だけが「移転促進地域」となった。

 「集落を分断するなんて納得いかない。町に見直すよう署名も出したが、だめだった」。農家の鈴木俊さん(63)の自宅は移転促進地域の中にあるが、流されずに残った。先祖代々の土地。補修し、残ることを選んだ。自宅前の農地を耕し、今月中にはイチゴ用のビニールハウスを建てる。

 一方で、新築は制限され、自宅を失った住民は出て行くしかない。鈴木さん宅の周囲はほとんど家がなくなる。

 「間違った情報でせっかく残った自宅を壊した人もいる。戻ってきたいという住民もいるのに…」。わずか200メートル先にある移転促進地域の境界線を、恨めしそうににらんだ。(岸本達也)

東北3県 人口8.3万人減 過去1年間 福島は2%に相当

 東日本大震災で被災した岩手、宮城、福島3県の人口は、この1年間で約8万3千人減った。阪神・淡路大震災では、復興まちづくり事業の長期化で地元を離れた被災者も多く、「早く復興のスケジュールを示してほしい」などと、人口流出の拡大を懸念する声が出ている。

 昨年3月1日と今年2月1日の被災3県の推計人口を比較したところ、震災で亡くなった人も含め、減少率が最も高かったのは福島の2・15%。岩手は1・24%、宮城は0・98%だった。阪神・淡路大震災で被災した兵庫県内12市は、同じ期間で見た場合、減少率4・11%。震災前の人口を上回るのに6年10カ月を要した。

 宮城で見ると、津波被害の大きかった沿岸部の南三陸町や女川町、山元町などが10%以上減った一方、避難者の受け皿となっている仙台市がわずかながらも増えており、二極化している。高齢化率が高い集落では復興を待ちきれず、子どもらを頼って引っ越す動きがある。

 「地域の再生は住民の意見をしっかりくみ取ることが大切だが、急ぐことも必要」と指摘するのは、応援職員として淡路市から宮城県亘理町に長期派遣されている神林俊勝さん(44)。淡路市の復興土地区画整理事業は完了までに14年を要したが、生活再建を急ぎ、地域を離れた住民も少なくなかった。

 さらに、阪神・淡路の復興まちづくり事業は行政主体で進められ、反発が出た。このため、住民によるまちづくり協議会が結成され、見直し案や意見を出し続けた。

 宮城県気仙沼市で活動を続ける神戸市中央区のNPO法人「神戸まちづくり研究所」理事の野崎隆一さん(68)は「住民がそれぞれの思いをきちんと出し合い、まとまっておくことが大事。そうすれば、案を示されたときに素早く対応できるし、行政も地元の意見を無視できなくなる」と話す。

 阪神・淡路で復興土地区画整理事業が行われた神戸市灘区の六甲道駅西地区。約500世帯でつくる琵琶町復興住民協議会の池田寔彦(これひこ)会長(70)は「計画区域内にいつでも住民が集まれる場所を確保できたことと、コンサルタントの存在に助けられた。行政に意見を言う際、他の地区との情報交換も有効だった」と助言する。(岸本達也)

2012/3/6
 

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