看板を掲げたクリーム色のプレハブが並び、中から威勢のいい声が飛ぶ。延々と広がる更地の中で、その一角だけが際立つ。
宮城県南三陸町の志津川地区。2月25日、海から約1・5キロ離れた国道沿いに、仮設商店街「南三陸志津川福興名店街」がオープンした。
「やっと出発点に立てたよ」。水産加工品販売店を再開した三浦洋昭さん(53)は、それまでの道のりをしみじみと振り返った。
三浦さんら約20店が軒を連ねた「おさかな通り商店街」は津波で壊滅。店主らは「商いで町に活気を」と昨年4月、月1回の「福(復)興市」を始めた。全国各地の商店主仲間から届いた特産物などを振る舞う市は毎回、盛況だった。「常設の仮設商店街を」。機運は自然に高まった。
そのころ、経済産業省の外郭団体「中小企業基盤整備機構」が、仮設店舗・工場の建設費を補助する支援策を打ち出した。17年前の阪神・淡路大震災で被災した中小企業向けに、神戸市が市内6カ所に設けた「仮設工場」をヒントにした仕組みだ。
昨年7月初めの事業説明会には100人を超える店主や事業者が集まり、予定地でいち早くがれきの撤去も始まった。「周りにぐるっと店を配置し、真ん中を広場にしよう」「よし、秋にはオープンだ」。計画はとんとん拍子に進み始めた。
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だが、状況は一変した。予定地はがれきを取り除くと、地面がコンクリート、アスファルトとばらばら。最大約1・5メートルの高低差も分かった。平らな更地でないと、工場などの大きな構造物は建てられないが、土地の造成費は補助の対象外だ。
結局、店舗の配置など計画は変更。工場併設を予定した店舗は次々と辞退した。完成の見通しも、年内から年明けへとずれ込んだ。「簡単にはいかねえんだな」。三浦さんたちは厳しさを実感した。
9月下旬、仮設商店街運営組合の設立総会が開かれ、神戸市長田区・大正筋商店街の茶販売店主伊東正和さん(63)が招かれた。阪神・淡路大震災で店を失い、2度の仮設店舗を経て10年がかりで再建にこぎつけた伊東さん。「復興は本設の店を構えてこそ。その道のりを支えるのは『立ち上がる』という心意気だ」。伊東さんの言葉は店主たちの心に響いた。
仮設商店街オープンの日、南三陸町は例年にない大雪に見舞われた。約5500平方メートルの敷地で、青果店や居酒屋、美容院など30店がスタートを切った。吹雪の中、被災者が列をつくり、祝いの花火が上がる。
にぎわいを見つめ、三浦さんは自らに言い聞かせるように言った。「1年、2年先だけをみてちゃだめなんだな。この町でずっと商売できるどうか、存在感を築けるかどうか。基盤づくりはこれからだ」(宮本万里子)
商店再生へ支援策拡充 「阪神・淡路」教訓生かす 仮設店舗後が正念場
東日本大震災で被災した商店や中小企業の支援策に、阪神・淡路大震災の教訓が生かされている。経済活動の再開は、復興に向かう町の活気につながるため、国は仮設店舗の建設費補助や無利子の貸し付けなどさまざまなメニューを用意。一方で、阪神・淡路の被災店主らは「支援はあくまで一時的。窮地を乗り越えるきっかけにして意欲を維持してほしい」と力を込める。
東日本大震災では、経済産業省の外郭団体・中小企業基盤整備機構が、仮設の店舗、事務所、工場の建設費補助▽事業再建、まちづくりなどの専門家派遣▽施設・設備の復旧費の無利子貸し付け-などを実施。同機構は「阪神・淡路大震災の支援策を参考にした。当時より内容は充実している」とする。
中でも、仮設店舗などの建設費補助は要望が多く、今年2月末現在で補助により完成した商店街などは被災地全体で約280件に上る。さらに、約80件が建設中という。
同機構が教訓とした阪神・淡路大震災では、被災地の半分近くの商店街と小売市場が全半壊、一部損壊の被害を受け、神戸市内では6割を超えた。多くはすぐに再建できる体力がなく、仮設店舗での再開や廃業を余儀なくされた。
商店街や小売市場の再開率は、神戸市が震災1年後で75・9%と苦戦。2年後に兵庫県が調査した神戸市以外では、宝塚市や淡路島の旧6町などは90%を超えたのに対し、西宮、芦屋市は80%台と低く、被災程度の違いによる地域差があった。
さらに、再開の形態が仮設店舗の場合、本格的な再出発が新たなハードルとなった。
同市長田区の大正筋商店街は9割の店舗などが焼失。1995年6月、国の事業で整備された共同仮設店舗「復興げんき村パラール」で営業を再開したが、再開発ビルに店を構えるまで10年近くかかった。
宮城県南三陸町の商店主らを支援する茶販売店経営の伊東正和さん(63)は「仮設から本格再開までの時間は長い。その間に年齢を重ねて商売をやめる人もいる。仲間と結束を固め、イベントをするなど工夫を欠かさないことが不可欠だ」と話す。(宮本万里子)
2012/3/7