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子どもたちであふれる高木公園。まちづくりに携わった住民たちの思いがこもる=西宮市高木東町(撮影・笠原次郎)
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子どもたちであふれる高木公園。まちづくりに携わった住民たちの思いがこもる=西宮市高木東町(撮影・笠原次郎)

  • 子どもたちであふれる高木公園。まちづくりに携わった住民たちの思いがこもる=西宮市高木東町(撮影・笠原次郎)

子どもたちであふれる高木公園。まちづくりに携わった住民たちの思いがこもる=西宮市高木東町(撮影・笠原次郎)

子どもたちであふれる高木公園。まちづくりに携わった住民たちの思いがこもる=西宮市高木東町(撮影・笠原次郎)

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 小学生が駆け回る。幼子が遊具で遊び、母親たちが見守る。

 阪急西宮北口駅北東の住宅街。1ヘクタールの高木公園がオアシスのように広がる。

 7年前に移り住んだ女性(36)は「駅から近いのに静かで住みやすい」。公園に隣接する高木小学校の児童数は、1168人(今年5月現在)と阪神・淡路大震災直後の倍近くに。2016年には小学校が新設される。

 「夫も喜んでいるんじゃないかな」

 近くに住む福井和子さん(62)は、まちづくりに奔走し、震災1年半後に他界した夫耕司さん=当時(48)=を思う。「老後は公園の番人になる」。それが口癖だったが、完成を見ることはなかった。

 駅北東の3町(北口町、高木東町、高木西町)の全半壊率は78%。震災2カ月後には区画整理事業が決まったが、行政の示した計画をめぐり、地域は二分された。

 20メートル道路は必要なのか。公園が大きすぎる…。区画整理は、個人の土地を少しずつ提供して、公共用地を生み出す。被災で多くを失った住民にとって負担感は大きく、反対の声は激しかった。

 地元のまちづくり協議会(まち協)は事業を進めることに合意し、住民案を示して計画を修正するという方針を立てた。事務局長の耕司さんや役員らが考え抜いた末、出した結論だった。

 しかし1996年3月、まち協案は住民総会で否決。翌日、耕司さんは入院し、4カ月後、劇症肝炎で亡くなった。

 まち協はその後、街区ごとにミニ集会を重ね、要望やアイデアをくみ上げた。車の通行を抑制するよう一部の道をジグザグにする。古い水路を残したせせらぎを造る。高木公園は、高木小児童がイメージ図を描き、フェンスを設けなかった。

 「反対した以上、自ら提案しなければならないことに住民が気付いた」。96年総会当時のまち協会長土井成三さん(59)は振り返る。

 結局、3年半かかって住民案を練り上げ、市に提出。事業はようやく動きだした。

 公園完成から10年。多くの人に「住みたい」と思わせる現在の町並みは、気の遠くなるような積み重ねによって生み出された。

 土井さんは言う。「『与えられたまち』ではなく、住民がつくったまち。そのことは伝えていきたい」

(松本大輔)

2014/10/27
 

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