笑顔の輪の中で、世界的指揮者は大きく手を広げた。
9月13日、阪急西宮北口駅近くの公園。すぐそばにある兵庫県立芸術文化センターの芸術監督、佐渡裕さん(53)は、住民約300人と、来年迎える開館10年のポスター撮影に臨んでいた。
「この辺り、ずいぶん変わったよね」
佐渡さんがしみじみ語る。商業施設「阪急西宮ガーデンズ」には多くの人が行き交い、マンションの建設が相次ぐ。今春の公示地価でも上昇率は県内の商業地トップ(高松町)だった。
“勝ち組”のまちに、つい、忘れてしまう。阪神・淡路大震災の甚大な被災地であることを。
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かつて市場が軒を連ね、古い木造家屋が密集した西宮北口は、震災で全世帯の6割超、約3300世帯が全半壊。100人が犠牲となった。
佐渡さんがこの地を訪れたのは震災から7年たった2002年。7割にまで減った人口がようやく震災前に戻った頃だった。
「僕は京都の商店街育ちやからね。まちの姿、というのが分かる。あの頃、ここはまだ、人の痛みが濃く残っていた」
開館に向け、佐渡さんは地図にコンパスで半径2キロの円を描いた。円内のすべての学校を回り、住民と膝を交えた。そこには二重ローンにあえぐ人や商売を案じる店主がいた。家族を失った人も。
「なんで今、オペラやオーケストラにお金をかけるんや」。そんな声も耳に入った。
「クラシックなあ」。駅の北側で居酒屋を営む矢田貝充彦さん(70)も当初はぴんとこなかった。
店は半壊。約2週間後、近所から井戸水をもらい、カセットこんろを使って営業再開にこぎつけた。だが、再開発ビル開館とともに客足は遠のき始めた。狭いエリアで生じる格差。「このままでは復興から取り残される」。危機感を抱いた。
矢田貝さんの店にも佐渡さんはしばしば顔を出し、杯を交わした。
「地域の応援がないと成功せんのよ。そこらのおっちゃんに来てほしい」。その言葉に引かれた。「モーツァルトか、おもろいやん」。にぎわい再生をセンターに懸けた。
05年に開館し、佐渡さんは住民を演奏会に招いた。ワンコインコンサートも好評。年間76万人が来場し、“チケットを売り切る劇場”として注目を集めるまでになった。
まちのブランド力も上昇。西宮北口は、13、14年の民間調査「住みたい街ランキング関西」で1位に輝いた。
「地元の頑張りには頭が下がる」と佐渡さん。同時に、初めて歩いた時に感じた“痛み”は消えない、と言う。
「このホールは華やかな音楽をやって、生きる喜びを感じるところ。だからこそ、犠牲者への思いがある。ここは、一緒に生きていることに気付くまちです」
節目の年に向け、タクトを振るい続ける。(斉藤絵美)
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「にしきた」と広く親しまれるようになった阪急西宮北口駅周辺。まばゆい光の底には、長い苦闘が横たわっている。20年の記憶をたどる。
2014/10/25