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西宮北口駅前にそびえる再開発ビル「アクタ西宮」(奥の2棟)。再び、人を呼び込めるか(撮影・笠原次郎)
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西宮北口駅前にそびえる再開発ビル「アクタ西宮」(奥の2棟)。再び、人を呼び込めるか(撮影・笠原次郎)

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西宮北口駅前にそびえる再開発ビル「アクタ西宮」(奥の2棟)。再び、人を呼び込めるか(撮影・笠原次郎)

西宮北口駅前にそびえる再開発ビル「アクタ西宮」(奥の2棟)。再び、人を呼び込めるか(撮影・笠原次郎)

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 18階建てツインタワーの1階。白や紫のランが店先で咲き誇る。

 阪神・淡路大震災で被害を受けた阪急西宮北口駅前に、2001年4月開業した再開発ビル「アクタ西宮」。その中に入る生花店「えびすフラワー」は、通りに面している。

 「そんなに売れる花じゃないけど、店の顔ってやつよ」

 店主の林茂治さん(72)は、高価なランを震災後も欠かさずそろえてきた。

 震災前、駅北東には約230店が軒を連ねたが大半が倒壊。再開発ビルでの復興を目指すことになった。林さんの店も全壊。震災2年後、仮設集合店舗「ポンテリカ北口」で営業を始めたが、売り上げは3割落ちた。売れるのはランどころか、お供え用の小さな花ばかりだった。

 震災前の店はテナントだったため、ビルへの入店はローンを組んで区画を買うしかなかった。内装工事にも費用がかさんだ。蓄えを切り崩し、別の2店を閉鎖してアクタ一本に絞った。

 「再開発ビルで何かが変わる」。そう信じた。賭けでもあった。

   ◇

 地権者のうちアクタに残ったのはわずか31人。多くの店主が廃業したり、移転したりした。

 商店街ですし店「きらく」を営んでいた新家理伸(しんけまさのぶ)さん(68)もその一人だ。

 商店会の副会長だったこともあり、再開発計画には反対しなかった。だが、自分が入るとなると、ためらった。高層ビルの中、飲食店や物販を整然と分けたフロア。違和感があった。

 「すし屋の横に花屋がある。それが北口の魅力やったのに」。2000年、権利を手放した。

 1駅隣の阪急門戸厄神駅近くで店を開き、アクタにも度々訪れる。08年に大型商業施設「阪急西宮ガーデンズ」が開業すると、華やかさを増した。「いい場所があれば北口に戻りたい」。このまちに残った昔の仲間が、少しうらやましくなることもある。

 しかし、ガーデンズは、人の流れをごっそり持って行った。「想定外」と生花店の林さん。苦境の中、アクタ振興会理事長として“1店逸品”を呼び掛ける。

 「昔は、天ぷらやったらあの店、かまぼこはこの店、というのがあった。もう一度あのパワーをつけたい」

 ビルの中で、原点に戻った商店主らがもがく。(斉藤絵美)

2014/10/26
 

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