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官民のトップが駆けつけたフォーチュンリバー号の就航式。地元の期待を背負っていた=1997年2月、神戸港
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官民のトップが駆けつけたフォーチュンリバー号の就航式。地元の期待を背負っていた=1997年2月、神戸港

官民のトップが駆けつけたフォーチュンリバー号の就航式。地元の期待を背負っていた=1997年2月、神戸港

官民のトップが駆けつけたフォーチュンリバー号の就航式。地元の期待を背負っていた=1997年2月、神戸港

 その船は5年前、ひっそりと神戸港を去り、韓国の船会社に売却されていた。阪神・淡路大震災後、神戸と中国・長江を結ぶために建造された専用船「フォーチュンリバー号」(5600トン)。

 復興特定事業の目玉の一つ「上海・長江交易促進プロジェクト」。専用船で直接交易し、日中間の投資を促す。神戸にビジネスの「中国人街」などをつくる壮大な計画だった。提案したのは、当時、政府の阪神・淡路復興委員会委員長で元国土事務次官の下河辺淳(91)。自ら旗振り役に就いた。

 震災2年後の就航式で当時の市長笹山幸俊(故人)は「平成の開港」と胸を張った。だが鳴り物入りの専用船が運航したのは7年で10回程度。中国は急速な経済成長で、道路網の整備が進んだことなどが背景にある。

 1999年、国は事業から手を引いた。下河辺は2004年、「上海が船の受け入れに消極的だった」と失敗を認めた。11年5月、推進組織は解散を決めた。

 経済復興をけん引するために打ち出された数々のプロジェクト。関税の減免で企業を呼び込むエンタープライズゾーン構想、KIMEC(キメック)(神戸国際マルチメディア文化都市)構想、医療産業都市構想…。計画通りに進んだものは少ない。

 「3年以内に震災前の水準に回復させ、10年以内に震災がなかった場合の成長軌道へ、あるいはそれをしのぐ水準を目指す」(「兵庫県産業復興計画」)。被災地は復旧を超える「創造的復興」を掲げた。

 中でも、県が国に強く求めたのがエンタープライズゾーン構想だった。神戸・ポートアイランド2期を対象に、関税減免を軸にした規制緩和で企業を集める。集客施設や医療産業都市構想との相乗効果で消費を促す。今でいう「特区」だ。

 しかし、国は「焼け太りは許さない」「一国二制度は認めない」との態度を崩さなかった。

 「人のにぎわいも工場も失い、神戸は経済的な地位を下げた。被災地の危機感は国に届かず、復興政策は暗然たる失敗だった」。震災当時、関西経済連合会会長で政府の復興委員会委員も務めた川上哲郎(86)=住友電気工業名誉顧問=からは悔恨の言葉が続いた。

 震災はグローバル化が加速する中で起きた。川上は、下河辺が推す上海・長江事業よりも、神戸港の国際競争力を取り戻すことが「再生の鍵」と主張。港湾の権限を一元化する機関「ポート・オーソリティー」の必要性を訴えたが、受け入れられなかった。

 「官僚は道路などに復旧予算は付けるが、被災地に権限を持たせなければ復興はできない」。川上は「官の限界」を指摘する。

 日銀神戸支店によるとバブル崩壊後の20年間、兵庫経済の年間平均成長率は0・1%。全国平均(0・68%)を下回り、国内45位。神戸港のコンテナ取扱量は震災前の世界5位から52位に沈んだ。

=敬称略=

(石沢菜々子、加藤正文)

2014/11/14
 

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