「大手の事業縮小で、仕事のパイは小さくなるばかり。阪神・淡路大震災を乗り越えてからの方がしんどい」。神戸市長田区の鉄工所の社長(63)が嘆いた。
創業約70年。一貫して三菱重工業神戸造船所(同市兵庫区)が発注する船舶や原子力発電所などの部品をこなしてきた。
震災後、同造船所の仕事は半年間途絶えたが、経営に決定的に影響したのは2012年の商船建造撤退だった。売り上げの4割を失い、3分の1に当たる13人の従業員を解雇した。11年の東京電力福島第1原子力発電所事故の影響も大きく、原発関連の仕事もほぼ止まったままだ。
三菱重工業は国産初の小型ジェット「MRJ」(三菱リージョナルジェット)に力を入れ、一部生産を神戸で行う計画だが、この社長は冷静だ。
「かつての船と同じように仕事が来るとは思えないが、大手ごとに下請けが決まっているのが兵庫の製造業。廃業する仲間も見てきたが、うちは三菱との関係を大切にするしかない」
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重厚長大大手の裾野に広がる中小企業群。鋳造、鍛造、プレス加工、メッキ、切削…。基盤となる技能を持つ中小企業の集積が、大手の高付加価値製品を支えてきた。そこで培われてきたのが、大手と下請けという縦の関係だ。これを揺るがしたのが震災だった。
住友ゴム工業、川崎製鉄(現JFEホールディングス)、日本製粉などの大企業が工場を相次いで県外に移転した。その後も再編のうねりは止まらず、神戸製鋼所は17年、神戸製鉄所の高炉を休止する。震災後2カ月半で再稼働し、復興の象徴とされた高炉だが「判断が遅れて神鋼全体が傾いてはならない」と社長の川崎博也(60)。
県内大手で続く生き残りを懸けた経営判断。その結果、「下請けの中小企業の受注減を引き起こし、製造業の中期的な低迷を招いた」。日本政策投資銀行の分析だ。
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大手製造業の構造変化に対応する中小企業も出てきた。
長田区の機械部品加工業、山城機工。社員10人の町工場には最新鋭の旋盤設備がそろい、作業場には医療、環境、航空宇宙関連の部品が目立つ。社長の岡西栄作(51)を突き動かしてきたのが震災体験。工場は全壊し、納入先も失った。「頼りにしていた大手を失うと中小は孤立する。2次、3次の下請けでもいい。実力を見てくれる会社の仕事を受けたい」
いま見据えるのは成長著しい航空機産業だ。市機械金属工業会の研究会に参画し、中小が手を組んで部品の共同受注を目指す。連携による「一貫生産」で従来の大手と下請けの関係を超えた取引を目指す。
人工衛星の部品を手に岡西は言う。「中小に必要なのは『動かせる軸足』だ。取引先を固定せず、時代の動きに柔軟に対応していく」。震災20年の模索で得た経営哲学だ。=敬称略=
(石沢菜々子)
2014/11/18