連載・特集 連載・特集 プレミアムボックス

  • 印刷
靴メーカーの工場。震災を乗り越え、神戸発の靴を作り続ける=神戸市長田区大道通5、カワノ(撮影・中西大二)
拡大

靴メーカーの工場。震災を乗り越え、神戸発の靴を作り続ける=神戸市長田区大道通5、カワノ(撮影・中西大二)

靴メーカーの工場。震災を乗り越え、神戸発の靴を作り続ける=神戸市長田区大道通5、カワノ(撮影・中西大二)

靴メーカーの工場。震災を乗り越え、神戸発の靴を作り続ける=神戸市長田区大道通5、カワノ(撮影・中西大二)

 「長田を支えてきたケミカルシューズの地域内分業が崩壊しつつある。メーカーも激減した。復興したとはとても言えない」。日本ケミカルシューズ工業組合(神戸市長田区)理事長の正木貞良(72)=トアセイコー社長=の表情は険しい。

 阪神・淡路大震災で最も激しく翻弄(ほんろう)された地場産業。資材、金型、縫製、裁断…。靴づくりの機能が狭い地域に集まる。内職する人も多く、街全体が一つの工場だった。震災では8割の企業が焼失、全半壊した。製造休止の間、問屋は一斉に仕入れ先を中国などへ移した。

 もともと新興国に追い上げられていた分、衰退は早かった。廃業が相次いだ。半世紀続けた婦人靴製造業を3年前に畳んだ経営者(78)は「売り上げ減と材料代の高騰で工場の賃料が払えなくなった」と嘆く。

 震災前約230あった組合加盟社数は約90に激減。総生産額は4割減の約398億円となった。

     ■

 住商工が混在する長田や兵庫などのインナーシティーでは長く人口減や産業衰退が続いた。市は郊外のニュータウン開発に力を入れたが、インナーシティーの対策は後手に回っていた。そこに震災が直撃した。

 「ケミカルの再生なくして長田のまちづくりはありえない」。市で産業復興に当たった三谷(みたに)陽造(64)=市産業振興財団参事=は、いち早く長田区や西区に仮設工場を手当てした。市は1998年、兵庫区に公営賃貸工場「ものづくり復興工場」を建設。2000年には業界団体などとともに約15億円を投じ、振興の核施設となる「シューズプラザ」を整備した。

 「住・商・工が魅力を高めあう活力あるまちづくり」。市は復興計画に沿って巨大再開発や区画整理を進めた。ひしめいていた工場や長屋は姿を消した。長田区の人口は約10万人で、ピークの60年代の半分を割る。にぎわいは薄れ、産地の窮状は深まる。

     ■

 「震災で苦しんだからこそ、生き残るすべを見つけた」。業界最大手カワノ(神戸市長田区)社長、河野忠友(48)は言う。「バークレー」など自社ブランドに早くから取り組んできた。デザインや技術を磨き、震災前5店舗だった直営店は12店へ、百貨店などの取り扱いは約60に増えた。

 近年、業界では、代替わりした経営者が中心になって高付加価値路線が進む。産地全体のブランド「神戸シューズ」は今年、特許庁の地域団体商標に登録された。百貨店とのつながりもできた。全体の企業数は減ったものの、1社平均の生産額は震災前の1・5倍だ。

 それでも、職人の減少や後継者難も重なり、産地を支える分業体制の先細りは深刻だ。カワノは震災前、縫製を全て国内で手掛けていたが、現在は6割を海外に頼る。「メード・イン・ナガタ」への思いの強い河野は力を込める。

 「私たちがここで製造を続ける限り、まちの灯は消えない」

=敬称略=

(土井秀人)

2014/11/19
 

天気(9月7日)

  • 34℃
  • 27℃
  • 20%

  • 36℃
  • 24℃
  • 40%

  • 35℃
  • 26℃
  • 20%

  • 35℃
  • 25℃
  • 30%

お知らせ