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がれきが広がる震災2カ月後の大船渡市街 シンプルな配色の平屋建てが並ぶ「キャッセン大船渡」。商店街のようなアーケードはない=岩手県大船渡市 キャッセン大船渡の実務を担う(左から)臂徹さんと社長の田村満さん、市災害復興局の佐藤大基さん=岩手県大船渡市 漁業は大船渡の大きな柱=岩手県大船渡市 神戸新聞NEXT
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がれきが広がる震災2カ月後の大船渡市街

シンプルな配色の平屋建てが並ぶ「キャッセン大船渡」。商店街のようなアーケードはない=岩手県大船渡市

キャッセン大船渡の実務を担う(左から)臂徹さんと社長の田村満さん、市災害復興局の佐藤大基さん=岩手県大船渡市

漁業は大船渡の大きな柱=岩手県大船渡市

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シンプルな配色の平屋建てが並ぶ「キャッセン大船渡」。商店街のようなアーケードはない=岩手県大船渡市

キャッセン大船渡の実務を担う(左から)臂徹さんと社長の田村満さん、市災害復興局の佐藤大基さん=岩手県大船渡市

漁業は大船渡の大きな柱=岩手県大船渡市

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 世界有数の漁場である三陸海岸を臨む岩手県大船渡市。2011年の東日本大震災が引き起こした大津波は、生活やにぎわいを支える海沿いの水産加工業、駅前の中心市街地などを壊滅させた。震災前から地域が抱える課題を克服すべく、官民が復興に新たな試みを取り入れてきたが、発生から9年が近づく中、人口4万弱のまちはさらなる挑戦を迫られている。(藤井洋一)

 朝日を受けマイワシが輝く。大船渡魚市場の水揚げも終盤だ。「海が良ければ陸もよし」-。こんな看板も見かけた。海とともに生きてきたまちの誇りがうかがえる。

 水産加工の及川冷蔵は国の補助金を活用し、津波で失った工場や倉庫を再建した。だが経営者の及川廣章さん(63)は「復旧だけでは先が見えない」と考えていた。

 消費者の魚離れ、漁業の後継者不足、地域全体の衰退。震災前も決して右肩上がりではなかったからだ。

 13年、卸や加工など水産業に関わる地元6社で協同組合「三陸パートナーズ」を立ち上げた。サケやサンマ、ホタテなどをワインに合うレシピで加工し、ネット通販や東京での販売で、ブランド化を狙った。

 震災前に手を組むのはまれだったが、及川さんにとっては「同じスタートラインに立った戦友」だ。

 事業再建が進まず雇用やにぎわい回復が遅れた阪神・淡路大震災の反省から、政府は東日本大震災で被災した中小企業の復旧を補助する制度を設けた。その後の大災害にも踏襲され、補助対象には異業種展開や新商品の製造設備などが加わった。

 激しく変化する時代に対応し、新たな強みをつくる必要性に迫られていた。

■行政主導と一線引き

 大船渡市は市民や企業との話し合いを重ね、中心市街地や商店街の再生に「エリアマネジメント」と呼ばれる手法の採用を決めた。

 浸水したJR大船渡駅周辺の10・4ヘクタールを、市が国の交付金で買い上げる。住宅利用を禁じ、市も出資するまちづくり会社が商業施設を設け、テナントに被災店主らが入る。

 店主は市に相場より安い地代を払い、まちづくり会社にも分担金を納める。これを財源に、まちづくり会社は区域全体の活性化に取り組む。

 全国の商店街が直面する課題の一つは不動産の権利関係だ。店主と所有者が違ったり、廃業後も店主が住み続けたりなどで、新陳代謝が進まない。大船渡はゼロからのまちづくりを機に、この点をクリアした。テナントの賃貸契約は最短3年で切り替えることにした。

 まちづくり会社の社長は田村満さん(72)が務める。社業の自動車学校を震災復旧の拠点に開放し、被災企業の支援に奔走するなど人望が厚い。行政主導の都市計画と一線を引く、地域の意思がうかがえる。

 商業施設は「いらっしゃい」を意味する方言から「キャッセン大船渡」と命名され17年4月に開業した。及川さんらのパートナーズも、直営店を出した。

 ホテルなども進出したが、被災店主が入る施設は鉄骨平屋建てで、昔の長屋と路地にも似る。ショッピングモールのような華美さや重厚感とは対極にある。

 掲げるのは「100年後の大船渡人に引き継ぐマチ文化」だ。大船渡は過去に何度も大津波に見舞われ、再建を遂げてきた。100年持続する強固な建物をつくるのではなく、時代の変化に柔軟に対応し、生き残っていく。歴史を踏まえた決意が伝わってくる。

 企画に携わった都市計画プランナーの臂徹(ひじとおる)さん(40)は「減築しやすい構造」を意識した。シンプルな作りなら店で装飾などをしやすい。将来、地域の姿が変われば、規模縮小なども容易にできる。

 現在は飲食や物販、ライブハウスなど29店舗が軒を連ねる。震災前のシャッター通りから一新した。

 キャッセンの管理運営も臂さんが担う。区域内の河川敷や道路は管理者が県と市に分かれるが、イベント時には双方と調整し、丸ごと大きな会場のように使う。

 駅周辺の企画調整に携わる市災害復興局の佐藤大基さん(42)は「挑戦と検証を重ねるまち」にこだわってきた。キャッセンも試行錯誤を重ねるうち「服がなじむように」市民に溶け込み、新たな交流や文化を生むまちになると信じている。

■新たな魅力を模索し

 ただキャッセン開業から3年が近づく中で、パートナーズともども復興の夢を描いた時期は過ぎ、再び環境変化の荒波にもまれつつある。

 大船渡魚市場の昨年1年間の水揚げ量は、サケが前年から80%、サンマは65%減った。海流の変化などが指摘されるが、収束は見通せない。

 及川さんは「自分の会社にもっと力を入れねば」と話す。不漁傾向は以前からあり、いずれ手を打たねばとは考えていた。しかし状況は急速に悪化し、売り上げも落ち込む。先送りはできそうにない。

 公的融資の返済猶予も併用し、補助金で再建した企業はひと息つけた。復興需要も盛り上がった。しかし返済が始まれば、経営者の手腕が問われる。

 無料の三陸自動車道で、大型商業施設がある釜石市に1時間弱で行けるようになった。復興にはプラスではあるが、今後、キャッセンの客足に影響が出ても不思議はない。

 社長の田村さんは店主らに「個々の店が強くなってほしい」と訴える。テナント契約は順次、期限がくる。キャッセンというキャンバスも、そこに店主が描いた絵も、互いに評価される時期を迎えている。

 10人を超す市民に会った。誰もが「大船渡の未来に何を残すのか」を意識していたのが印象深かった。

 キャッセンで飲食店を営む新沼崇久さん(49)もその一人。大槌町の復興に携わっていた臂さんを大船渡につないだ。「海のまちに、新たな魅力もつくらなければ若者が離れていく」と危機感を抱いていた。

 「どんな建物も陳腐化する。シンプルな方が、更新して楽しめる」

 「このまちに完成形はない」

 キャッセンを語る臂さんや田村さんの言葉には、既存のまちづくりの弊害を打破して地域の魅力を築こうとする意欲がにじんだ。

 神戸・長田の復興まちづくりを思い起こす。再開発ビル群の建設を急いでも、行政の思惑通りにはにぎわいが戻らなかった。時間を費やしても、住民らが主体となり身の丈に合った姿を描けば、変化に合わせた仕立て直しもできたはずだ。

 阪神・淡路は完成形を急いで求めすぎたといえる。前例のない災害に国の支援も十分ではなく、立ち止まれなかった。まちづくりの主役は誰か、未来に何を残すのか。大事なことを、十分に考えられなかった。

 震災25年で復興に区切りを付けるかのように、神戸・三宮の再整備や兵庫県庁建て替えなどの事業が動きだした。今こそ立ち止まり、未来に残すべきものは何かを考えたい。

【2011.3.11 東日本大震災】三陸沖を震源とするマグニチュード9.0の地震。東日本の太平洋岸が大津波に見舞われた。大船渡市では最大11.8メートルの津波を観測(気象庁現地調査)。死者・行方不明者は計419人、全壊世帯2791にのぼった。漁業施設が被災し、大船渡魚市場の水揚げ量は現在も震災前の約6割にとどまる。

2020/1/28
 

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