東日本大震災による東京電力福島第1原発の事故後、廃炉作業を進める原子炉からの汚染水が増え続け、その処理水の処分が大きな問題となっている。福島の人々は現状をどのように受け止めているのだろうか。昨年の阪神・淡路大震災25年を機に、現地ルポ「論説委員が歩く被災地」を4回掲載した。未曽有の事故から10年を前に、あらためて原発や漁業の現場に足を運んだ。(松岡 健)
トロ箱いっぱいのヒラメ、アンコウ、カレイ、アジなどが広い荷さばき室を埋めている。昨年12月、福島県いわき市の小名浜(おなはま)魚市場は、入札をする業者らの姿で活気があった。港に面した場所で選別した魚介はコンベヤーで屋内に運び込む。人が入室するときは、消毒はもちろん、二重扉を通って長靴も洗浄しなければならない。
小名浜機船底曳網(そこびきあみ)漁業協同組合の前田久管理部長(68)は「衛生管理は徹底しています」と胸を張る。
小名浜港は震災による津波で岸壁が崩れ、船が乗り上げた。魚市場も被災した。現在の建物は2015年に完成したものだ。
震災直後にこの港を訪れたが、美しく復旧し、大型商業施設もできた姿に驚いた。取材後、今月13日に福島県沖で発生した最大震度6強の地震でも、被害はなかったという。
ここで水揚げされた魚は「常磐もの」と呼ばれる。黒潮と親潮がぶつかる豊かな海域で、魚のえさになるプランクトンも多いという。
しかし福島第1原発の事故で、放射性物質が海に流れ出た。沿岸漁業と底引き網漁業は自粛せざるを得なかった。今も限られた「試験操業」の状態が続く。福島県沖での漁獲量は震災前の2割にも満たない。
放射性セシウムが検出され、出荷制限がかかった魚は最大44種を数えた。その魚種が昨年2月、ようやく念願のゼロになった。
「ここで放射能の自主検査を行っています」と前田さんが別室に案内してくれた。専門の職員が水揚げされた全ての魚種を一つ一つさばく。食べる部分のみを機械にかける。丁寧な作業だ。国のセシウムの基準は1キロ当たり100ベクレル以下。魚市場では50ベクレル以下という厳しい自主基準を設けている。
福島県では15年の春以降、国の基準を超えた魚は取れていない。こうして本格操業への歩みが進む中、漁業関係者を悩ませるのが、原発敷地内にたまる処理水の問題だ。
汚染水を浄化した処理水の保管が限界に近づき、海洋放出する案が有力とされる。けれども処理水には放射性物質トリチウム(三重水素)が残る。これは他の原発からも放出され、「人体への影響は小さい」とされているものだが、当然ながら漁業関係者は風評被害を心配する。
前田さんは「10年かけてようやく漁業が回復してきたのに、風評被害が出れば元のもくあみ。そう思う人はたくさんいる」と話す。福島県漁業協同組合連合会、全国漁業協同組合連合会も、海洋放出には「反対」と表明した。反発を受け、政府は方針の決定を先送りしている。
■目に見えない恐怖
マイクロバスの車窓に大きなタンクの群れが近づいてくる。バスは福島県大熊町と双葉町にまたがる福島第1原発の構内を走っている。
タンクには処理水をためる。それが約千基。見渡す限りの密集したタンクを見て、原発事故の深刻さをあらためて実感させられる。現在1日に出る汚染水は約140トン。小さいタンクなら5日で満杯になる。
東電は計画した137万トン分のタンク設置を終えた。ただ、構内にはまだ敷地がある。タンクは増設できないのか。東電の担当者は「廃炉のための施設を建てる必要がある。敷地をどのように活用するか、タンクやデブリ(溶融核燃料)関連施設、燃料の一時保管施設などを含めて慎重に検討している」と説明した。
敷地のすぐ外には、放射能除染で発生した汚染土などを保管する国の中間貯蔵施設が広がる。放射能の影響を受けた水と土が大熊、双葉両町に集中している現実がある。
この第1原発への取材は、富岡町からバスで入った。車内には線量計がある。乗車時は毎時0・1マイクロシーベルト。他府県と変わりない。国道6号を北上すると帰還困難区域に入る。車の通行は可能だが歩行はできない。廃屋が点在し、耕地が荒れている。
途中、3・8マイクロシーベルトのホットスポットも通ったが、構内到着時には0・6マイクロシーベルトだった。普段着のまま取材できる。個人線量計を身に着けるよう指示され、マイクロバスに乗り換える。汚染水から放射性物質を取り除く設備を見て海に近い高台へ。車外に出ると、1号機から4号機までの原子炉建屋が目の前にあった。汚染水を生む根源だ。
1号機は上部の鉄骨があらわで、水素爆発の激しさがうかがえる。2号機は爆発はなかったが、内部の線量は高い。溶けたデブリの取り出しに着手することを目指している。3号機はカバーで覆われ、使用済み核燃料の取り出し作業を進めている。
高台では線量計が毎時100マイクロシーベルト(0・1ミリシーベルト)を超えた。一般人に定められた年間被ばく線量限度は年間1ミリシーベルト。ここに10時間いれば、それを超えることになる。目に何も見えないことが逆に恐ろしい。
原子炉建屋の周りには、全面マスクと防護服姿の作業員が見えた。廃炉を終えるまでには30~40年。放射線が低くなるまで、誰かが高い線量の中で作業しなければならない。
■「国対漁師」ではない
中間貯蔵施設は原発を取り囲むようにある。30年以内に福島県外で汚染土の最終処分をする-などを前提に県と大熊町、双葉町が受け入れを表明。15年に搬入が始まった。
伊沢史朗双葉町長の話を聞いた。
「中間貯蔵施設の受け入れは、苦渋の決断どころではなかった」と町長は険しい表情を見せた。「どこかに造らないと復興しない。双葉町は全町避難で他の地域にお世話になった。引き受けるしかなかった」
処理水の問題に関しては「長期保管を続けるのはどうか」と、処分の先送りに疑問を投げかける。そして「国が前面に立ち、処分の方法について責任を持って判断しますと言うべきだ」と強い口調で論じた。
海で働く人はどのように考えているのか。いわき市・久之浜港の漁師の4代目の男性(59)は、処理水の海洋放出には「反対」の立場だが、「国対漁師という単純な見方をしてほしくない」と訴える。
「処理水が安全かどうかの議論には巻き込まないでほしい。漁業者に聞かれても分からない。私たちは困っているだけです」
処理水を巡る議論で、仮に漁業者側が何らかの条件を付ければ、それは「条件付きの賛成」になってしまうと男性は思う。「漁業者が妥協したから海に流された」という受け止め方をされかねない。
賛否にかかわらず、それを問われる地元の立場そのものが苦しいのだということに気づかされた。
繰り返しになるが、トリチウムは全国の原発でも流され続けている。ただ、原発事故でそれがクローズアップされた。処理水の難題は国民全体で向き合うべきものだろう。
取材を終え、JR常磐線のいわき駅から特急で東京へ。第1原発が建設されたのは首都圏に電気を送るためだった。車窓いっぱいにオフィス街の電照やネオンが広がる。その光の海が異常なほど明るく感じた。
【2011 3.11 福島第1原発事故の発生と汚染水】 東日本大震災の津波で被災した第1原発の核燃料が過熱し、1、3、4号機が水素爆発。事故後、デブリを冷やす水と、流入した雨水や地下水が汚染水になっている。その放射性物質は多核種除去設備で取り除いて処理水にするが、トリチウムを除くことは技術的にできない。処理水は120万トンを超えた。海洋放出や大気放出などの処分案があり、まだ決定されていない。
2021/2/24