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神港学園の部員とボランティア活動に取り組む北原光広前監督(右から2人目)と長男直也監督(左から2人目)=16日午後、神戸市中央区の東遊園地
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神港学園の部員とボランティア活動に取り組む北原光広前監督(右から2人目)と長男直也監督(左から2人目)=16日午後、神戸市中央区の東遊園地
阪神・淡路大震災発生から2カ月後に行われた選抜高校野球大会の開会式で行進する兵庫の育英、神港学園、報徳の3校=1995年3月、甲子園球場
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阪神・淡路大震災発生から2カ月後に行われた選抜高校野球大会の開会式で行進する兵庫の育英、神港学園、報徳の3校=1995年3月、甲子園球場

 そろいのジャージーに身を包んだ球児たちが、白い息を吐きながら竹灯籠を並べていく。その一つ一つの灯が、追悼会場に「きざむ」の文字を浮かび上がらせる。

 冷たい風が吹く16日夕、神戸市中央区の東遊園地。春夏計8度の甲子園出場を誇る高校野球の強豪、神港学園の部員は阪神・淡路大震災の追悼行事が開かれる会場で設営作業を手伝った。同校が2003年から続けるボランティア活動だ。

 神港学園は震災が起きた1995年春の選抜高校野球大会に出場した。「復興センバツ」と呼ばれた大会には兵庫から同校と育英、報徳の3校が選ばれた。いずれも被災地の学校だった。

 震災の影響で練習もままならない中、神港学園は快進撃を演じた。1回戦で仙台育英(宮城)に1点差勝ち。2回戦も大府(愛知)に4-3で競り勝って創部初のベスト8入りを果たした。地元校の躍進は、復興に向かう被災地を沸かせた。

     ◇

 当時、チームを率いた北原光広前監督(66)は被災直後をこう振り返る。「野球なんてもうどうでもいいと思った。必ず野球ができる日は来る。ならば今だからこそ、やらなければいけないことをするべきだと」

 高砂市の自宅は無事だったが、震災発生直後は部員53人の安否確認に奔走した。全員の無事が確認できたのは10日後の1月27日。学校に集まっても本格的な練習を再開せず、部員は避難所などでボランティアに取り組んだ。2月下旬に選抜大会出場の知らせを受けた時も、被災者の状況を考えると派手に喜ぶことはできなかった。

 選抜大会を終え、日常が戻り始めたころ、北原前監督は苦難の日々を顧みた。「野球を大切にする思いが強くなった。野球以外でも汗をかいてほしい」。02年末、東遊園地でのボランティアに応募。03年から毎年、部員と共に追悼会場に竹灯籠を運び込み、鎮魂の願いを込めた雪地蔵づくりに取り組んでは震災当時を思い起こした。

     ◇

 震災から25年の歳月が流れた今、チームは北原監督の長男直也氏(40)が率いている。

 震災当時、北原直也監督は中学3年生だった。逆境をはねのけて勝ち上がる神港学園をアルプススタンドで見守った。「おやじは勝ち負けよりも、とにかくひたむきな思いでやろうと言っていた。(8強躍進は)選手たちが野球に飢えていた中、練習以上のものが出た結果だと思う」

 選手、コーチ、部長として父から教えを受けた北原監督は「1・17」の活動を受け継いだ。野球と直接の関係はなくとも「追悼行事に携わる人の姿、思いに触れることで感じることがあるはず。自分もおやじの姿を見て学んだから」と話す。

 「当たり前は当たり前ではない。今できることをしよう」。寒空の下、東遊園地で竹灯籠を並べながら、父から託された25年前の思いをチームに染み込ませる。(長江優咲)

【震災当時の神港学園】捕手の鶴岡一成主将(元横浜、阪神など)を擁し、震災発生前年の秋季県大会を制し、近畿大会準優勝。震災で生徒2人が亡くなり、校舎は一時避難所となった。一部の野球部員は一時的に避難所や親類宅に身を寄せ、うち2人は1カ月以上避難所生活が続いた。戦後初めて兵庫から3校が出場した選抜大会は、復旧途上の交通事情を考慮し、電車や自転車などで甲子園入り。神港学園は準々決勝で今治西(愛媛)にサヨナラ負けを喫した。優勝校は観音寺中央(香川)。

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