
今も信じられない。
世界で誰よりもバスケットボールを愛し、競い、人生をささげて伝説となった男-。波乱と栄光に満ちた人生の旅は、2020年1月26日、ヘリ墜落事故で突然終わった。41歳。彼にその名を授けた元選手の父ジョー・ブライアントさんよりも、背中を追い闘った“神様”マイケル・ジョーダンさんよりも先だった。
「神戸大使」と書かれたシャツを手にする米プロバスケットボールNBA選手、コービー・ブライアントさんの写真を、2001年12月16日の本紙朝刊社会面で見つけた。「星野阪神が誕生!」との関西トップ級のニュースが幅を効かし、当時23歳の「KOBE(コービー)」は紙面下段の隅で笑っていた。まだ“レジェンド”となる前だった。
当時ロサンゼルスに飛び、写真と記事に登場する神戸市産業振興局次長、竹中幸雄さん(70)=神戸市垂水区=が振り返る。「神戸大使は、震災復興に進む街の魅力を世界に広めてもらおうと始まったんです。震災3年後に初めて神戸を訪れ、寄付してくれたコービーさんと顔を合わせた笹山幸俊神戸市長から大使就任の提案がありましてね。市の米国事務所を通じて依頼すると快諾でした」。
竹中さんは試合前のアリーナで、委嘱状とともに神戸ワインや記念のシャツを手渡し、そのままレイカーズ対クリッパーズのLA対決を観戦した。当時の背番号は「8」。シャキール・オニールさんとのコンビでチームはリーグ連覇中で、このシーズンも圧倒的な強さで3連覇を果たした。
2006年に背番号「24」に変更後も名門チーム一筋に活躍。NBA優勝5回、五輪2大会で金メダル獲得に貢献するなど正真正銘のスーパースターとなった。17年の現役引退後も競技の魅力を世界に発信し、世界中のアスリートやスポーツを愛する人たちの憧れであり続けた。
神戸大使の任期は11年に終了したが、何より「KOBE」の名の由来が「神戸ビーフ」であることは世界に広く知られていた。神戸ビーフの深い味わいとコービーさんの華麗なプレーは、ともに「絶品」。地元で暮らし働く記者は、ずっと誇りに思っていた。
生前、コービーさんは語っていた。「リングに触らずシュートが決まったとき、ネットに『クッ』と突き刺さるだろ。その音がたまらなく好きなんだ」。ともに逝った愛娘の前で、あの美しいシュートを決め、その音を聴き楽しんでいるのだろうか。(大山伸一郎)
