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元全日本学生卓球チャンプ北村秀樹さん=千葉市内
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元全日本学生卓球チャンプ北村秀樹さん=千葉市内
1966年の欧州遠征で、日の丸を胸に着けてプレーする北村秀樹さん(「卓球王国」提供)
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1966年の欧州遠征で、日の丸を胸に着けてプレーする北村秀樹さん(「卓球王国」提供)

 左腕だけで全国の学生の頂点に立った、伝説の卓球プレーヤーをご存じだろうか。神戸出身の北村秀樹さん(75)=千葉市。1964年と66年に全日本学生卓球選手権大会のダブルスで、65年はシングルスで優勝の栄冠に輝いた。だが、折り紙付きの実力を持ちながら、大学卒業から程なくラケットを置き、卓球界を離れる。その背景には、自身を巡る取材への疑問や憤りがあったという。卓球にメダルの期待がかかる東京五輪・パラリンピックの開催まで、あと4カ月余り。“感動の物語”に寄り掛かりがちな、メディアや観衆の在り方を考えさせられる。(田中真治)

 ー生後間もない1945年3月17日、神戸空襲に遭われたそうですね。

 「寝ていると空襲警報が鳴って、母が慌ててねんねこで私を背負い、逃げたそうです。赤ん坊は泣くからと防空壕(ごう)に入れず、神戸市兵庫区水木通の家からたどりついたのが湊川神社。泣きやまないので、母がねんねこに手を当てたら血がべっとりで、右腕がないことに気付いた。不発だった焼夷(しょうい)弾の破片がかすったのでは、ということでした」

 ーハンディを背負ったことで、思い悩んだりしませんでしたか。

 「…(右腕は)物心がつく前からなかったんです。初めからなかったのと同じで、ないものはないなりに生きていくしかない。友だちに何か言われたこともないし、普通の人と変わらない。幼稚園のお遊戯で手をつないで輪になる時、はっとしたかもしれないですけどね」

 「三角ベースの草野球もしたし、砂場で相撲も取りましたよ。上手投げが得意でね。運行を休止していた摩耶ケーブルの線路も上ったなあ。小さい頃はよく転んだ記憶がある。今思えば、バランスを取りにくかったのかもしれません」

 ー当時、日本が世界選手権で大勝するなどして卓球ブームでした。中学2年の時に「優勝の原動力」になった、と当時の神戸新聞にあります。

 「中学1年の担任が、隣の小学校でやんちゃをしていた私を見てて、運動クラブに入れと。面白そうだと思ったのが卓球だった。技術があるわけでもなく、ラリーが入ったり、スマッシュが決まったりするのが楽しかった。サーブはラケットを握った手でボールを上げ、ラケットを返して出せばいい。不思議でも何でもなく、自然なことでした」

 ー名門の市立神戸商業高(現・六甲アイランド高)で全国クラスの成績を残し、専修大卓球部へ。

 「神戸商業は全国トップレベルの先輩がいたので練習相手のレベルが高く、切磋琢磨(せっさたくま)できた。声の掛かった専修大は『厳しいぞ』と聞かされましたが、周囲に助けられました」

 「やっていなかった腕立て伏せも、少し足を広げてバランスを取る方法を教わり、なるほどと。腹筋を鍛えれば、片腕でも普通にできるものですよ。寮生活では、洗濯や配膳など先輩の身の回りのこともしないといけないが、『俺がやってやるよ』と皆が手伝ってくれた」

 ーそして学生チャンピオンとなり、広く注目されます。テレビで試合を見た神戸生まれの俳優殿山泰司さんも、対戦相手が「ただのサウスポーとして考えている」という解説を聞き、エッセーに感銘をつづっています。シングルスに優勝した時の記憶は?

 「練習していたから負ける気がしなかった。覚えているのはロビングに失敗した浅いボールが、ネットの上を滑って入った。すごくラッキーで、それが効いたのかもしれない」

 「でもこの時代、全日本学生選手権に優勝したくらいで騒がれた人はいません。私は不自由だと思ってやっているわけではないのに、片腕だからどうこうと、なんでそんなことばかり聞かれるのか。よく言われましたよ、身体障害者の人に言葉を、と。励ましになるのかもしれませんが、掛ける言葉を持ち合わせていないんです」

 ー一人のアスリートという自己認識と、殺到する一般の雑誌やテレビ、ラジオなどの視線は違った。

 「実家や大学に取材が来て、練習の時間を割かれ、ありもしないことを過大に書かれる。だんだんと嫌になるし、ほかの活躍している選手を差し置いて申し訳ない。卓球は神経を使うスポーツなんです。それが、私の方にカメラがずらりと並んで、対戦相手が嫌だろうと思った」

 「俳優の森繁久弥さんのラジオ番組に呼ばれた時、色紙を頂いた。〈我 二本の腕をもって星を得ず/君 隻腕をもって天なる星を得たり/完全なるものの油断を誠戒むべし〉と。どう思いますか。同じ兵庫県出身で話は弾んだけど、この言葉は気に入っていないんです」

 ーサーブの仕方が国際ルール違反だとの声も卓球界からあった、と。

 「嫌になってきているところに、その言葉で疲弊した。違反かどうかはもういいと、気持ちが駄目になってきた。情けないけど、弱かった。コーチとして育てた母校の後輩からは世界チャンピオンも出て、ある程度恩返しができたと思う。家庭を持ち、28歳でラケットを置きました」

 「卓球道具や賞状などもほとんど残していません。父親が作ってくれたスクラップも、実家が阪神・淡路大震災で全壊し処分してしまった」

 ー今年は五輪とパラリンピックの年です。卓球は注目を集めています。

 「人から評価、称賛されることはプレーにつながる。価値観をどこに置くかは人それぞれだけど、アスリート以外の部分より、プレーを見てほしい。選手の大半は、そう考えているでしょう。卓球は呼吸が大切なダブルスや混合に勝機がある。パラリンピックも、選手は大いに楽しみ、その姿に声援を送ってもらえればいい」

【きたむら・ひでき】1944年7月10日、神戸市兵庫区出身。神戸市立原田中で卓球を始め、市立神戸商業高でインターハイ3位。専修大に進み、全日本学生ダブルス、シングルスで優勝した。千葉市在住。

【記者のひとこと】神戸には、年齢に不調も重なり、ごぶさただという北村さん。「世話になった人へのあいさつ代わりになれば」と、インタビューに応じていただいた。優れた郷土のアスリートを記憶にとどめたい。

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