
歓声を遮るように、ブザーが響いた。
74-75
延長の末、兵庫が敗れた。
喜びに浸る優勝候補の福岡勢のそばで、兵庫主将の山下朋美(須磨学園高)は天を仰いだ。
コートを出た。
タオルで顔を覆った。
それ以上にむせび泣いたのは、監督の吉川公明だった。
「よう、やってくれた」。言葉が続かない。
選手らは驚いた。市尼崎高の教え子でもある沢田悠は「普段は絶対に泣かない先生なのに…」。
吉川は西宮今津高を卒業後、1浪し、一般入試を経て日体大へ。全日本大学バスケットボール連盟の委員長を務め、日本学生選抜の試合にも同行して観察眼を養った。
全国舞台での指揮の原点は、2004年の埼玉国体だった。兵庫の少年女子監督を初めて託され、1回戦の第1クオーターで12-48。愛媛にたたきのめされた。
経験を蓄え、迎えた地元国体。選手選考で12人に絞る作業が苦しかった。
最後、自身が勤める高校の選手にメンバー漏れを伝えた時、普段は快活な子が泣き崩れた。
その姿に吉川は「命を懸けて挑む」と誓った。
激闘は終わった。
「本物の方が強かった。でも大会前、2週間の合宿でやった練習は、本物に勝ったと思う」
兵庫の最長身プレーヤー、178センチの滝井亜里沙(園田高)にも指揮官の思いは伝わっていた。
「先生は自分のチームそっちのけで指導して。他校の選手なのに、熱意を持って怒ってくれた」
期待に応えようと、慣れないガードの役目をまっとうし、前半に流れをつくって12点を稼いだ。
福岡のエース森ムチャ(中村学園女高)の32点を上回る、34得点で兵庫をけん引した山中美佳(神戸龍谷高)。試合後、取材に答えた。
「あきらめては駄目と思って攻めた。みんなも同じ気持ちだったと思う」
涙を浮かべて笑った。
=敬称略。肩書、所属は当時=
(藤村有希子)
【あらすじ】2006年秋の兵庫国体バスケットボール少年女子で、選抜メンバーを組んだ地元兵庫。最大のヤマ場と捉えていた強豪・福岡との2回戦は延長に突入した。
