
飛沫(ひまつ)対策のパネルを挟んで隣り合い、会見に臨んだ表情は、プロ入りへの覚悟と喜びが入り交じっていた。26日のプロ野球ドラフト会議で、そろって指名を受けた明石商高3年の中森俊介投手と来田(きた)涼斗外野手。投打の軸として1年夏から甲子園に出場し、公立の星となった一方、全国制覇を目指した高校最後の1年は新型コロナウイルスの影響で、春夏ともに甲子園大会が中止になった。苦楽をともにしてきた僚友は誓う。「ここからが勝負」-。
丹波篠山市出身の中森投手は狭間善徳監督の熱心な勧誘に心打たれて入学。神戸市西区出身の来田外野手は甲子園出場がかなわなかった、三つ上のOBの兄を追いかけて、強豪校へ進んだ。2年春、選抜大会準々決勝で来田外野手が史上初の先頭打者本塁打とサヨナラ本塁打を放つと、中森投手は夏に2年生では歴代2位となる球速151キロをマーク。世代の顔として脚光を浴びてきた。
2年時は春夏ともに甲子園大会の準決勝で敗退し、日本一を目標にしていた2人。だが、集大成となるシーズンは新型コロナウイルスに奪われた。出場が決まっていた春の選抜大会は見送られ、夏の甲子園大会も中止になった。
それでも腐らなかったのは、互いの存在があったから。来田外野手は休校中も毎日海岸での走り込みを欠かさず、中森投手は帰省時も実家で右手にボールを握った。中森投手は言う。「来田が結果を出しているからこそ自分も負けていられない。火をつけてくれる存在。互いに励まし合い、高め合ってここまでこられた」
中森投手はロッテ、来田外野手はオリックスと、同じパ・リーグの球団に指名された。「1軍の舞台で戦った時は打ち取りたい」と話す中森投手に、来田外野手も「中森が打ち取ると言うなら、自分はホームランを打って勝つ」。
隣にはいつも親友がいた。この日も隣同士で取材を終えると、グラウンドで待ち構えていたチームメートに囲まれ記念撮影。最前列で並ぶ2人は、これ以上ない笑顔だった。(長江優咲)
