沼島(ぬしま)での1カ月密着取材。空き家を借りて住み込んだのは、飾らない日常を見たかったからだ。
この日もふらっとのぞいてみた。8月21日夕、明かりがともる干物加工場。男たちが海の幸を次々さばく。
「これ、食ってみらんか」。沼島漁業協同組合の青年部員に差し出されたのは赤パチエビの干物。うま味が凝縮され、ビールが進みそう。伝えると「分かっとるやないか」。
加工場は今春、国などの補助を受けて完成。仲買に売るだけだった魚を、自分たちの手で商品に変える。
27日夜の会合。部長の中元幸明さん(35)が呼び掛けた。「売れれば沼島の魚の価値が上がる。ちょっとずつでもやっていこ」
9月、南あわじ市の「イングランドの丘」近くにできた直売施設「美菜恋来屋(みなこいこいや)」に“沼島印”の干物が並んだ。「20年遅れたけど、今が最後のチャンス」。中元さんの言葉が切実なのは、これまでの取材でよく分かる。
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9月1日、始業式の小学校。すっかり涼しくなった校舎で、1カ月前を思い出した。
会う人会う人に聞かれた。「こんな何もない島に住んで、何を取材すんねんな」
太平洋に面した断崖の島。最初は人を寄せ付けないようで怖かった。人口減少や漁業の衰退で、島全体が元気をなくしているようにも感じた。
だが、それは違った。
暮らし始めた初日。訪ねた吉田安夫さん(75)、富久恵さん(70)夫妻のお宅は夕飯時だった。遠慮すると、「いいから上がれや、にいやん」と安夫さん。
ゆでた赤パチエビをつまみながら、昔話を聞いた。息子2人との漁。豊漁だった。でも長男が42歳で急逝し、次男も島を出た。
「さびしはないねんで。孫も遊びに来てくれるし、島の人もお魚くれるし」
机のそばに何十冊ものノートがあった。幼少時、練習できなかったという漢字がびっしり。漁師を辞めてから書き続けている。「これが今の財産や」。夫婦の暮らしはとても豊かに見えた。
盆踊りの初日。「お花代」と呼ばれるご祝儀を見よう見まねで包んだ。濃い人間関係は大変そうだが、しきたりを守ることが共同体を支えるのだろう。高校1年の藤田樹君(16)は伝統の「兵庫口説(くどき)」を披露した。「絶対なくしたくないねん」。本気だった。
連合自治会長の島津弘さん(73)の決意も聞いた。「先人が築いてきたこの島を、子どもたちに残していく」。可能性を求める動きをあちこちで目にした。
島で生きていく。それは、島の営みに関わっていく、ということ。そして島の未来にも。
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島を離れる9月2日。空き家の掃除を終え、汽船に乗った。
「もっとおったらええでえか」「いつ戻ってくんのんじょ」
ついさっき聞いた沼島弁が懐かしい。波間に小さくなっていく独特の形。国生み伝説が残る「はじまりの島」は、また帰ることのできる場所になった。
(岡西篤志)
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「兵庫で、生きる」第2部は今回で終わります。第3部の舞台は高砂市。高齢者の「新しい住まい方」を実践している場所に密着します。掲載は10月中旬の予定です。
2015/9/22









