1カ月の住み込み取材をする際、最も心配なのは毎日の食事だった。
淡路島の南に浮かぶ離島・沼島(ぬしま)。2・7平方キロの中に、一人で気軽に入れるチェーン店やコンビニはない。
だが、その懸念はすぐに消えた。
「これ食べてよ」
借りた空き家に島の人が持ってきてくれるバケツには、捕れたての小エビやウオゼ、タイ、ミズイカ…。ゆでるだけ、焼くだけでごちそうだ。多すぎるほどの“お裾分け”は滞在中、続いた。
そして、何といってもハモ。地域で夏祭りの準備をしているお宅を訪ねると、長さ1メートル以上の巨体をさばく最中だった。
「骨切り、やってみるけ?」。南区長の花岡基裕さん(60)が無茶を言う。おそるおそる出刃包丁を押し出す。ジョリッ、ジョリッ。それほど力を入れなくても切れた。
沼島産は骨や皮が柔らかい。島の周りに広がる泥が格好の寝床となり、体が硬くならないとか。
湯引き、フライ、タマネギ入りのハモすき。身はふわふわ。甘い。京都御所に献上されていたというのもうなずける。
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8月上旬、沼島漁港沿いの小屋。高齢の男女7人がナイロン製の細縄をほどいてかごに入れ、縁にJ字形の針を留める。ハモのはえ縄漁で使った縄を修繕する「縄繰(なわく)り」作業だ。
「ええ漁やったかどうかは、針を見たら分かんだぁ」と元漁師の吉田安夫さん(75)。鋭い歯のハモはかかっただけ針も傷む。
はえ縄漁は、魚の体を傷つけず、味の良さを引き立てる漁法。江戸後期、沼島の漁師が各地に広めたという記録がある。安達豊和さん(72)が伝統を守り続ける。
「とれただけ金になったわなあ」。16歳で漁師になった安達さん。1960~70年代、キロ6500円の高値が付き、余裕のある暮らしができた。
しかし、韓国産のハモが入り始め、値段はキロ2千円台に下落。量も捕れなくなった。
加えて作業はきつい。周囲の漁師はアジ漁などに切り替え、気付けばハモを扱うのは全体の3分の1に。底引き網漁ばかりで、はえ縄漁は安達さん一家だけだ。
「もうやめよ、もうやめよと思てんで」。そのたびに、「ハモ漁は沼島が仕切っとんや」と誇らしげに話す祖父や父の姿が浮かんだ。
でもなあ。孫には継がせられんなあ…。漁でつけたという眉間の傷痕をさすった。
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捕れなくなっているのはハモだけではない。ここ4、5年でアジが激減。海水温の上昇とか、し尿処理の発達でプランクトンが減ったとか、原因は色々考えられるが特定されていない。
島内唯一の仲買「志満丸水産」をのぞいた。水揚げされたばかりの20種以上の魚。不漁の言葉と結びつかない。「値のつかん魚がほとんどやで」と島津弘成社長(46)。
ただ、手をこまぬいてばかりでもない。大手スーパーとの提携話も進んでいると聞いた。
ハモは魚へんに「豊」と書く。この島は、こんなにも豊かなのに。お裾分けでこしらえた食卓を見つめた。
(岡西篤志)
2015/9/12









