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沼島の人口推移 沼島 15歳で漁師になった咲稀さん。「日焼け対策? したいけど潮かぶるから意味なくなるねん」=南あわじ市沼島沖(撮影・小林良多)
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沼島の人口推移

沼島

15歳で漁師になった咲稀さん。「日焼け対策? したいけど潮かぶるから意味なくなるねん」=南あわじ市沼島沖(撮影・小林良多)

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 日本はじまりの地・国生み伝説が残る南あわじ市の沼島(ぬしま)。ハモに代表される漁業で栄え、「沼島千軒(せんげん) 金(かね)の島」と呼ばれたが、現在は人口500人を割り込み、戦後のピーク時の2割に。漁獲高も激減。共同体を守ることが難しくなる一方で、新たな動きも生まれている。シリーズ「兵庫で、生きる」第2部は、県最南端の離島が舞台。8月の1カ月間、記者が空き家に住んでみた。

 高速道路を降り、タマネギ畑の間を走ること20分。勾玉(まがたま)形の島が姿を現した。

 土生(はぶ)港発の汽船に乗る。船内のテレビで流れるのは四国地方の天気予報だ。10分で島へ。細い路地を、女性が手押し車を押して歩く。思い切って声を掛けると「おはようさん」。笑顔が返ってきた。

 これから暮らすのは、9年前までおばあさんが1人で住んでいた平屋。立派な欄間や縁側のある母屋と離れ。畳に寝転ぶ。セミの声、古い建具のにおい。ニュータウン育ちの身にも懐かしく感じる。

 再び、島を歩く。魚料理の店は数軒。鮮魚を買える所は見当たらない。

 「昔はもっとあったんやけどねえ」。沼島漁業協同組合の田村富弘事務局長(46)が寂しそうに言う。

 ふと、疑問が湧いた。

 「沼島のハモ」はブランドで海の幸は豊かなはず。なのになぜ、島の人は「漁はしんどい」と言うのだろう。

 その謎を探る前に、ぜひ会いたい人がいた。

 午前6時半。朝曇りの中、3隻の船が沖に向かう。シラスの船びき網漁だ。

 漁師三宅一幸さん(39)が操縦する手船(てぶね)に、少女が乗っていた。肩にかかる髪を後ろで一つにくくっている。中学校を卒業したばかりの山岡咲稀(さき)さん(15)。時折、スマホの画面に目をやる。合間におにぎりをほおばる。

 「船酔いするけど、食べとかな余計しんどいねん」

 すかさず、「若いから燃費悪いねんな」と三宅さん。船が笑いに包まれる。

 魚群をとらえた。網で追い込むのは、咲稀さんの父啓志さん(48)と母弥生さん(46)が操る網船(あみぶね)2隻。シラスを氷入りのかごに手早く詰め替え、咲稀さんは汗をぬぐった。

 3姉妹の末っ子で恥ずかしがり屋。出会った日は家の奥に隠れられた。

 漁師を意識したのは小学4年生。授業で「将来の夢」に書いた。「身近やったからとりあえず、かな」

 洲本市の通信制高校に通いながら日々沖に出る。この道を選んだ理由はうまく言葉にならない。だが、覚悟はできた。船舶免許を取り、いずれは網船に乗るつもりという。

 沼島の漁師は約130人。60~70代が多く、咲稀さんの存在は希望そのものに映る。

 こっそり聞いてみた。この島は好き?

 「好きか嫌いかって聞かれたら、やっぱり好き」

 はにかみながら答えてくれた。こちらも、島が好きになれそうな気がしてきた。

(岡西篤志)

2015/9/10
 

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