第6部 慟哭のホラン河~満州開拓団集団自決~

(5)山がなく ぐるりと地平線

2015/02/19 12:38

 高橋村(兵庫県豊岡市但東町)の開拓団本隊は1944(昭和19)年3月、船で韓国の釜山に渡り、鉄道でハルビンに着いた。但馬を出発して5日後の3月26日深夜のことだ。さらに鉄道に乗りトラックに分乗して、入植地の旧満州国浜江省蘭西県北安村に向かう。その中に、石坪馨(かおる)さん(86)の姿もあった。

 「トラックには乳飲み子もお年寄りも乗り、荷物もあるから荷台がいっぱいでした。満州は広いと聞いとったけど、あんなに広いとは思わなんだ。多少の起伏はありますけど、山がなくてぐるりと地平線ですからね」

 満蒙開拓平和記念館(長野県阿智村)によると、開拓民の土地の約6割は、満州拓植公社などが現地の人から安値で買い上げたものだった。

 「家も畑も、捨て値みたいなもんで買い上げたらしいです。強制的に立ち退かされたもんもおって、恨んどるもんもおりますわね」

 「畑ではコーリャン、トウモロコシ、アワ、それから小豆もたくさん作りました。スイカやマクワウリ、キャベツ。肥料もやらんのに作物が大きくなるんですわ。まあ冬は寒くて、風呂から家まで30メートルも歩いたらタオルが棒みたいに凍っちまって。金属を素手で触ると、手の皮がぶちぶちいうてはがれて痛いくらいでした」

 両親ときょうだいと一緒に入植した山下幸雄さん(81)は、2部屋だけの土壁の家で暮らすことになった。

 「家は家族が寝たらいっぱいになるぐらいでした。それより土地の広いのにびっくりしました。なんぼ走っても走っても、家らしいものが見えない。困ったのはナンキンムシ。かまれるとなんともかゆいというか、痛い。それと飯を外で食うんですけど、おいしいものほどハエが寄る。真っ黒になるんです」

 5月、民家を借りて「大兵庫在満国民学校」が開校した。

 「黒板一つない。先生の話を聞くだけで、これが何という花で何という木で、ということを教えてもらいました。勉強というより、作業が多かった気がしますね。シラカバの苗木2万本を植えて。20年先には成木になりますから家を建てようと夢見て、それを楽しみに頑張りました」

(森 信弘、若林幹夫)

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