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故郷に集団自決を伝えるため、少年たちが集められた=高橋村の開拓団の悲劇を伝える紙芝居より(編集・絵、峠尚代さん) 開拓団の自決現場
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故郷に集団自決を伝えるため、少年たちが集められた=高橋村の開拓団の悲劇を伝える紙芝居より(編集・絵、峠尚代さん)

開拓団の自決現場

  • 故郷に集団自決を伝えるため、少年たちが集められた=高橋村の開拓団の悲劇を伝える紙芝居より(編集・絵、峠尚代さん)
  • 開拓団の自決現場

故郷に集団自決を伝えるため、少年たちが集められた=高橋村の開拓団の悲劇を伝える紙芝居より(編集・絵、峠尚代さん) 開拓団の自決現場

故郷に集団自決を伝えるため、少年たちが集められた=高橋村の開拓団の悲劇を伝える紙芝居より(編集・絵、峠尚代さん)

開拓団の自決現場

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 1945(昭和20)年8月17日朝。旧満州国に入植した高橋村(豊岡市但東町)の開拓団は逃避行の末、自決へと追い込まれていった。父親を病気でなくし、家族5人で逃げていた石坪馨(かおる)さん(86)が語る。石坪さんは長男で16歳だった。

 「各集落の班長がみんなの意見を聞いたんです。まだ逃げるという人もおりましたですけんど、死にたいという意見がほとんどでした。それで、生き延びるという7、8人を除いて自決することになったんです。食べ物はないし気力もない、暴徒になぶり殺しにされるよりはと。武器がないから入水するしかなかった」

 「逃げたいと言って親を困らせる子もちょこちょこありましたけど、学校に上がる前の子どもは夢の中を歩いとるようなもんで、眠いし、のどが渇いて空腹で、放心状態ですわ。私の3人の弟も一番下は5歳で母親におぶってもらっとったんですけど、私が『みんな死ぬるんだで。お母ちゃんと一緒に飛び込むか、兄ちゃんが刀で切ってやろか?』と聞いたら、『どっちでもいい』って言いましたで。疲れきっとったんでしょうな」

 石坪さんによると、このとき開拓団の団長と副団長は、ハルビンまで無事に行かせてもらえるよう、旧満州国の反乱軍に頼みに行ったまま戻っていなかったという。団長らが不在の中、団員たちは覚悟を固める。その中で開拓団の幹部は、石坪さんら同年代の5人の少年を呼び「集団自決の悲劇を伝えるため、生きて故郷へ戻れ」と命じた。

 「私らは反対でした。みんなが死にきるまで暴徒から守って、その後、自分らも死のうと言っとったんですから。でも親と相談してこいと言われ、母のところへ行ったんです」

 「そしたら母は、頼むから逃げてくれと言うんです。日本に残してきたじいさん、ばあさん、病弱な父の妹のことが気になるいうて。もし、お前が無事に戻ってくれるんだったら、私は安心してお父さんのところへ、弟たちを連れて行けると言うてね。泣きながら説得するもんで。私はおやじの死に目にも会われへんかったし、こみ上げてきまして。結局、母の死に目も見ずに出発しちまうことになるんですな」

 あちこちからお経を唱和する声が聞こえていた。(森 信弘)

2015/2/25
 

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