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地図を指さしながら戦争体験を振り返る今里淑郎さん。「ビルマに入るまではのんきなもんやった」=宝塚市宝梅2(撮影・峰大二郎) 歩兵第168連隊のルート
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地図を指さしながら戦争体験を振り返る今里淑郎さん。「ビルマに入るまではのんきなもんやった」=宝塚市宝梅2(撮影・峰大二郎)

歩兵第168連隊のルート

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歩兵第168連隊のルート

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 現在の兵庫県篠山市に兵営があった陸軍歩兵部隊(後の第168連隊)に配属された宝塚市の今里淑郎(いまさとしゅくろう)さん(93)は、幹部候補生に選ばれた。3カ月間の初年兵教育を終えた1943(昭和18)年7月ごろのことだ。

 「試験は、工業学校を出てたら受けられるわけや。乙種(5段階の2番目)の補充兵として入っとるのに、間違うて受けたら通ってもたんやな。通ったんは初年兵150人のうち5、6人やったかな。それから幹部候補生の甲種(将校)と乙種(下士官)に振り分けられて、私は乙種になった。部隊に入った時は2等兵やけど、受かったら、1等兵を飛ばして上等兵になっとったな」

 「先輩の上等兵からはよう殴られた。こっちは幹部候補生で、すぐ伍長(最下級の下士官)になりよるから、今のうちに殴っとけっちゅうわけやね。そら、きつかったで。鉄拳どころか、底にびょうを打っとるスリッパで殴る。血が出るなんてしょっちゅうや。掃除や銃の手入れとか、難癖なんてつけよう思ったら、なんぼでもあるよ」

 44(昭和19)年1月、篠山の部隊は朝鮮半島の大邱(テグ)へ渡る。6月には、九州や四国の兵とともに歩兵第168連隊として編成され、ビルマ(現ミャンマー)へ向かおうとしていた。

 「私はモールス信号や分隊長の教育を受けた後、体が弱いから内地に残っとったわけや。篠山で通信兵の教官になっとったら、通信の分隊長に欠員が出たからすぐ来い、と命令が来てね。員数(いんずう)合わせで都合のいいのがおる、っちゅうことやな。憲兵1人に付き添われて大邱へ行ったんや。今考えたらおかしなもんやけど、当時は戦地に行くことを喜んどった」

 ビルマは太平洋戦争前、英国領だった。日本は、連合軍が中国国民党政府に支援物資を運ぶ「援蒋(えんしょう)ルート」の遮断などを目的に42(昭和17)年1月に侵攻。同年5月に全土を制圧したが、今里さんらが向かったころには連合軍の反攻にさらされていた。

 「連隊には、朝鮮人の志願兵も多くてね。真面目で優秀やったで。差別がある中で飛び込んできたんやから。ところが日本人は朝鮮人、朝鮮人言うてな。何か物がなくなったら疑われる。そういうところがありましたね」

 歩兵第168連隊の戦歴概況によると、同隊は朝鮮半島の釜山(プサン)出港後、シンガポールに上陸。鉄道に乗り換え、44年7~9月にビルマの土を踏んだ。(森 信弘)

2015/8/20
 

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