ビルマ(現ミャンマー)戦線から復員した元陸軍少尉の今里淑郎(いまさとしゅくろう)さん(93)=宝塚市=は、1990年代から数年ごとに同国への慰霊の旅を続けた。2006年2月には、それまでの5年ほどの修行を経てミャンマーの僧籍を取得する。83歳になっていた。
「ビルマ戦線に行った元将校ばっかり5人で慰霊について話しとった時にね、いっそビルマの僧籍を取ろう、となったんですわ。そのために高野山(和歌山県高野町)とかで修行したけど、座禅や瞑想(めいそう)、座学もあってきついんです。私だけ、それまでに日本の僧侶の資格を取っとったこともあって、なんとかできたんですな」
今里さんは、親しかったミャンマー人の女性が保証人を引き受けてくれたこともあって、同国での試験に合格する。高い位の僧侶「上座僧」に認定され、更新してきた。
「私は分隊長やったから、復員後に遺族から『あんただけ逃げて帰ってきたんか』とか言われました。一時は随分うなされました。負い目というより、助けられんかったという責任を感じますな。部下が無残な姿で死んでますからね。きれい事とちゃいますわな。血を流して、息があっても、見殺しにして置いていかなあかん。それより前進や、と。そら、人でなしのように思われますよ。それを命令せないかんのがつらかったですよ」
ミャンマーは長年、政情が不安定だった。日本政府は、少数民族支配地域への調査団派遣について、ようやく本年度中に再開をする意向だ。
「以前、ビルマ北部で部下の遺骨を二つ、三つ見つけて、日本大使館の関係者に渡したことがありました。開発が進んでないし、自分で埋めた所やから、あの木の下って分かるんですよ。日本は、国として遺骨収集にもうちょっと力を入れんといけませんな。まだ現地にはごろごろしとるんやから。それを一日も早く返してあげてほしいですね」
今年7月、ビルマ戦線の戦没者慰霊を続けてきた高野山成福(じょうふく)院で、50回目の慰霊法要があった。戦争体験者が少なくなり、法要の中心を担ってきた今里さんは、その運営を来年から戦没者や復員兵の子どもらに引き継ぐことを表明した。
「肩の荷が下りた気がしました。しかし、生きてる間は慰霊については忘れられませんな。体の続く限り続けたいと思てます。慰霊を忘れたら、分隊長の値打ちはないですわ。あれから70年もたちましたけど、今の世があれだけの犠牲を払った上に成り立っておるということを、忘れてほしくないですな」(森 信弘)
2015/9/3