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第4部 霧の立つ里

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 民謡デカンショ節は「灘の銘酒はどなたがつくる おらが自慢の丹波杜氏」と唄う。丹波地方の冬の朝、「丹波杜氏」率いる蔵人は酒蔵で米と対話し、醸す。300年の歴史を誇り、昔ながらの手法で今も酒造りを続けている。

丹波杜氏 300年の歴史
生まれる前年にできた酒蔵で、藤井隆男さんがもろみを混ぜる。優しく、丁寧に。酒造りには人柄が表れる=篠山市波賀野、狩場酒造場(撮影・大山伸一郎)
生まれる前年にできた酒蔵で、藤井隆男さんがもろみを混ぜる。優しく、丁寧に。酒造りには人柄が表れる=篠山市波賀野、狩場酒造場(撮影・大山伸一郎)

 冬はつとめて。その酒蔵は深い霧に包まれていた。「丹波霧」の言葉があるほどに、この地を覆う霧は人の心を捉えてやまない。

 銘酒「秀月(しゅうげつ)」を醸す篠山市の狩場(かりば)酒造場。1930(昭和5)年に建てられた木造の蔵が、静かに時を刻む。

 朝日が差すが、気温は2度。吐く息が白い。蔵の2階にある室(むろ)では、蒸し米を木箱に移し、小分けにする作業が進む。10キロずつ移しては布を2枚かぶせて保温し、麹(こうじ)菌を増やす。室温27度。上半身裸で働く蔵人(くらびと)もいる。男たちの背に汗が浮く。

 「大事にしとこか。『友だち』が少ない」。蔵人の仕事を見つめる杜氏(とうじ)の藤井隆男さん(86)が、独特の言い回しで声をかけた。

 友だちとは、蒸し米のこと。最後に残った米はやや少なめだ。量が少ないと、麹菌の繁殖が鈍る。藤井さんはこの木箱だけ布を4枚重ねにして温めた。

 木箱を重ねるか、平らに置くか。布を何枚かぶせるか。日々、藤井さんが判断する。麹づくりは日本酒の命。指で触っては米の温度を確かめ、表面の色つやに目をこらす。腰が曲がりかけた小さな体で、五感を研ぎ澄ます。

 「麹菌は、物言いませんやん。言いたいことを察知して、誘導したる。それが杜氏の仕事」。柔らかな物腰の奥に、信念がのぞく。

 灘の銘酒(おさけ)はどなたがつくる おらが自慢の丹波杜氏

 民謡・デカンショ節の一節だ。藤井さんの原点は灘五郷への出稼ぎにある。盆地で寒暖差が激しく、二毛作に向かない丹波の厳しい風土が、匠(たくみ)の技を生んだ。

 酒造りに携わって65年。丹波杜氏の現役最年長である藤井さんは今、磨き上げた技と気概を、次代へ受け渡そうとしている。

冬の朝 五感研ぎ醸す
酒蔵の2階にある休憩部屋。杜氏の藤井隆男さん(左端)を囲み、暖を取る=篠山市波賀野、狩場酒造場
酒蔵の2階にある休憩部屋。杜氏の藤井隆男さん(左端)を囲み、暖を取る=篠山市波賀野、狩場酒造場

 もろみの甘い香りが鼻腔(びこう)をくすぐる。短い正月休みが終わり、篠山市の狩場(かりば)酒造場では、寒造りが佳境を迎えている。

 厳寒を利用し、10月から3月にだけ酒を造る。蒸米(じょうまい)、麹(こうじ)づくり、酵母を育てる酒母(しゅぼ)づくり…。昔ながらの手作業で、異なる酒を同時に仕込んでいく。

 作業は昼夜を問わず、5人の蔵人(くらびと)が交代で泊まり込む。率いるのが、現役最年長の丹波杜氏(とうじ)、藤井隆男さん(86)。酒造りの世界では、杜氏を「おやっさん」と呼ぶが、狩場酒造場ではあくまで「藤井さん」。蔵人の竹内直樹さん(47)は「『普通に名前で呼んでくれ』と言われたもんで」と恐縮する。

 藤井さんが日本酒の世界に足を踏み入れたのは、戦後間もない1952(昭和27)年。21歳のとき、大関(西宮市)の杜氏をしていた同郷の先輩に誘われた。

 「昔、篠山では酒造りに行かんもんは、具合が悪いもんやと言われとった」。稲刈りを終えた10月、古里を離れ、汽車に乗って西宮へ。翌年3月までの半年にわたる酒蔵での出稼ぎ暮らしが続いた。

 大関では、炊事や清掃係の下人(したびと)から始まり、道具廻(まわ)し、釜屋(かまや)、酛(もと)廻り、麹師(だいし)など10もの階級があった。蔵人は150人に上り、その8割は丹波地域から来ていたと記憶する。

 その頂点に立つのが杜氏だ。「この米、どないなるか、見とれよ」。大関の杜氏で丹波杜氏組合(篠山市)の会長も務めた故・桐山四郎さんに口酸っぱく言われた。酒米の出来は天候に左右される。蒸した米の水分や麹菌の繁殖は日々変わる。「米の質(たち)をつかむ大事さを教わった」

 29年をかけて杜氏に上り詰めた。米国・カリフォルニア州や中国・青島(チンタオ)市で、外国人と酒造りをした経験もある。「飲み飽きのせん、ええ酒を」。来季からは後進に道を譲り、酒造りを助言する立場になるというが、信条は変わらない。

藩主に直訴 守った出稼ぎ
しぼりたての酒の風味を確かめる中川博基さん。「鳳鳴は甘みがあってこくもある酒です」=篠山市大沢1、鳳鳴酒造味間工場
しぼりたての酒の風味を確かめる中川博基さん。「鳳鳴は甘みがあってこくもある酒です」=篠山市大沢1、鳳鳴酒造味間工場

 約300年の歴史を誇る丹波杜氏は、南部(岩手県)、越後(新潟県)とともに、日本三大杜氏と呼ばれる。兵庫県内はもとより、全国に出向いて造り手を育て、「酒もつくるし身もつくる(志を持った人を育てる)」と賞された。

 篠山城跡・三の丸広場に、石碑がひっそりとたたずむ。刻まれた名は市原清兵衛。

 篠山の酒造りの出稼ぎは、江戸期半ばから始まった。生計を立てるため、農閑期になると、村で一緒に住む人たちを引き連れて酒蔵で酒を造る。いわゆる季節杜氏だ。しかし、田畑の管理ができないとして、篠山藩はこれを禁止する。市原村(篠山市今田町)の清兵衛が命懸けで藩主に直訴し、後に「百日稼ぎ」と呼ばれる出稼ぎが再び認められた。酒造りの技術は「蔵」に加え、杜氏の住む「地域」ごとに継承されていった。

 丹波杜氏は毎年10月、酒造会社への「蔵入り」を前に、碑に手を合わせる。鳳鳴(ほうめい)酒造(篠山市)の杜氏で、丹波杜氏組合の中川博基組合長(76)は「清兵衛さんは恩人や」と目を細める。

 長い歴史を持ち、伝統産業と結び付いた出稼ぎも、その姿を変えている。専業農家は減り、四季醸造(一年を通して酒を造る)の設備も整い、杜氏の社員化が進んだ。1905(明治38)年には5500人を数えた組合員は113人に。平均年齢も高くなる一方だ。「でも、絶対に廃れんよ」。中川さんは寂しさを感じつつも、意地をのぞかせる。

「ひねり餅」 良酒願い供え
昔ながらのひねり餅作り。蒸したての米を使う=篠山市大沢1、鳳鳴酒造味間工場
昔ながらのひねり餅作り。蒸したての米を使う=篠山市大沢1、鳳鳴酒造味間工場

 鳳鳴酒造の味間(あじま)工場(篠山市)では、今では珍しくなった「ひねり餅」を作り続けている。

 湯気が上がる甑(こしき)から、蒸した米をひとつかみ。木の板にこすりつけて丸め、両手をすり合わせて平らにする。手慣れた様子で作り上げた中川さんが一言。「良い蒸しです」

 餅は、酒の神様として知られる松尾大社(京都市)をまつる神棚に供える。酒造りの成功と蔵人の安全を願って、かしわ手を打つ。米の蒸し具合を確かめ、良い酒を願う。

 鳳鳴酒造は昨年秋、副杜氏に三木市の岡和宏さん(52)を迎えた。菊正宗酒造(神戸市東灘区)で腕を磨き、昔ながらの酒造りを学びたいと中川さんの門をたたいた。

 「何でも進んでやりはる」。岡さんがその背中を追う。「跡取りを育てんことには、まだやめられんで」。見守る中川さんの頬が緩む。

 春遠からじ。手から手へ。雪積もる蔵で、志は継がれていく。

(記事・上田勇紀 写真・大山伸一郎、斎藤雅志)

【酒造り唄】
神戸新聞NEXT
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 酒造り唄 江戸期以降、丹波杜氏のいる灘五郷の酒蔵などで、作業の時間を計るために歌われた。工程ごとに「秋洗い唄」「酛摺(もとす)り唄」「風呂上がり唄」などがある。1965(昭和40)年ごろまで聞かれたが、時代とともにほとんどが姿を消した。丹波杜氏組合は保存会を結成。CDやDVDを制作したほか、丹波地域の内外で発表し、伝承している。

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