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第4部 霧の立つ里

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 その極大粒は世界一といわれる「丹波黒」こと、丹波の黒大豆。おせちの重箱できらりと輝く煮豆は、もちもち食感とじんわり広がるうま味の極上品。黒豆のふるさと丹波篠山に、伝統と品質を守る人たちと暮らしの風景を見た。

年の初めの「丹波黒」
10~11ミリ台の大粒なのに、皮は薄くて破れにくい。丹波黒はだからおいしい=篠山市立町、小田垣商店(撮影・大山伸一郎)
10~11ミリ台の大粒なのに、皮は薄くて破れにくい。丹波黒はだからおいしい=篠山市立町、小田垣商店(撮影・大山伸一郎)

 正月はやはりめでたい。おせちには福がいっぱい。

 重箱のふたを開けると、黒豆がきらり。黒は邪気を払う色で、「まめ」は健康を意味する。まあるい形は鏡餅の円満に通じ、太陽を表すともいう。

 「丹波の黒豆は大きくて丸く、縁起物につながるので、お正月に好まれる」と篠山市の老舗問屋・小田垣商店の小田垣昇常務(47)。そう、篠山の在来種に由来する「丹波黒」は世界一といわれる極大粒。煮豆用の極上品だ。

 ぷつん、と皮が破れるともちもちした食感とともにうま味がじんわり広がる。うーん、しみじみ美味。

 某コンビニのおせちでも「丹波篠山産」としっかり表示。あれっ、だけど最高級の限定品は少し違って、丹波篠山「川北地区」産。ピンポイントに推してくる“究極のおせち”の黒豆ができる川北地区とは、一体どんなところなのか。

篠山・川北 水枯れの地が生んだ
さやを「かち縁」に打ち付け黒豆を外す「手がち」。皮がはじけにくくなるといい、北川喜代治さんは今も2反分ほどを手がちで出荷する=篠山市川北
さやを「かち縁」に打ち付け黒豆を外す「手がち」。皮がはじけにくくなるといい、北川喜代治さんは今も2反分ほどを手がちで出荷する=篠山市川北

 晩秋の朝、篠山盆地は霧に沈む。その中西部、旧多紀郡西紀町に川北地区は位置する。

 「川北黒大豆発祥の地」と看板がうたう。周辺の畑で、茶色くなった豆のさやがかさかさと音を立てる。師走の声を聞く頃には、稲木(いなき)に束を掛け、天日干しする風景が広がる。黒豆は成熟の時を迎える。

 「夜霧朝霧の中でだんだん乾いて何ともいえん味がのってくるんや」と北川喜代治さん(84)。丹波農協(現・JA丹波ささやま)の黒大豆部会長を務めた代々の黒豆農家だ。

 篠山で黒豆が江戸時代からとれたことは文献にうかがえる。田んぼのあぜに植える畔(あぜ)豆だったというが、「川北はそやないで。水田転換の畑で作りよったから大きかったんや」と北川さんは言う。

 川北は水のない村だった。重粘土質で水は湧かず、川の水もなかなか来ない。年貢米を最優先にし、田の一部は「坪堀り」といって畑にする。そこで育ったのが黒大豆だ。

 黒豆は米よりずっと手が掛かる。

 村の家は昭和30年代までわらぶきだった。その材料の小麦の収穫期は5月の田植えよりも後。6月半ばが植え付けの黒豆なら間に合う。

 「やむを得ずの話で、特産品なんていうのはもっと後の時代やで」

 産地拡大の努力はあった。

 篠山東部の日置地区では、豪農の波部(はべ)家が系統選抜し、「波部黒」と1871(明治4)年に命名。内国勧業博覧会で受賞し、宮内省に献上された。明治初年に種苗商となった小田垣商店は種子を配り、買い取り保証することで生産を後押しした。川北では農学校卒の青年の主導で、生産組合を1931(昭和6)年に設立。41年、県は在来種を「丹波黒」と命名、奨励品種となった。

 だが戦時中は何より食糧増産で、戦後の栽培も旧多紀郡で10~20ヘクタール。全国ブランドになるのは、減反政策で転作が拡大する70年代以降だ。

「蓬莱山」に欠かせぬ「とじ豆」
とじ豆は、いり黒豆を餅にからめた団子。正月飾りの蓬莱山に欠かせない=丹波市市島町上垣
とじ豆は、いり黒豆を餅にからめた団子。正月飾りの蓬莱山に欠かせない=丹波市市島町上垣

 丹波と黒豆との結びつきを感じる正月行事は煮豆以外にもある。

 床の間に鏡餅と飾る「蓬莱山(ほうらいさん)」。これには「とじ豆」が欠かせない。

 とうじ豆、つくね豆ともいうが、「うちでは、いり黒豆団子です」と丹波市市島町の永井直樹さん(64)。その名の通り、つきたての餅にいり黒豆をからめ、丸く固めたものだ。三方の真ん中に、黒松の枝を立てた胴炭(どうずみ)を置き、その周りに橙(だいだい)や餅、栗や干し柿と一緒に供える。

 「丹波は大陸と都の道筋にあたり、古くに伝わった文化が残っているのかもしれませんね」

 代々の農家で、今も4世代が同居する永井家の元旦は、蓬莱山に手を合わせ、めいめいが好きなお供え物をいただく。とじ豆は小正月の後、切って焼き餅にする。

 家によっては山形だったり、砂糖入りだったり、食べるのが春雷の後だったりする。飾り方もいろいろだが、丹波では広く見られる。

 「それでも昔からの行事は少なくなった」と永井さん。農業が機械化し、共同作業が不要になったことを背景に挙げる。「こんなんして何になるんやろと思うけど、意味が分からんものも引き継いでいきたい」

1970年代からブランド化
老舗の小田垣商店。きれいな豆を「手より」し、11.2~9ミリの10段階に選別する=篠山市立町
老舗の小田垣商店。きれいな豆を「手より」し、11.2~9ミリの10段階に選別する=篠山市立町

 黒豆の枝豆も、川北では秋祭りにある「九日講(くにちこう)」のごちそうだった。「祭礼用で、お膳に少し出るだけ。日常的に食うとらへんし、売ってもない」と北川さんは振り返る。

 転機は70年代前半。小田垣商店が送る作柄報告の株に、料理店などが「枝豆にしたらおいしい」と販売を求めた。当初こそ、生産者は「邪道だ」とけんもほろろで、消費者にも黒みが「腐ってる」と誤解されたというが、漫画「美味(おい)しんぼ」への登場や88年のホロンピア博覧会での提供により、ブームに火が付いた。

 今では、秋の丹波路は枝豆狩りの車列ができる。健康効果で加工品にも人気が集まる。

 ただ、2018年度で減反は廃止。生産者の高齢化や後継者難もあり、将来は見通せない。篠山市丹波篠山黒まめ係は「危機感を覚えている」と、市独自の交付金も模索する。

 黒豆に選ばれたような丹波の地。大切にしたい暮らしの風景がある。

(記事・田中真治、写真・大山伸一郎、斎藤 雅志)

【丹波黒】
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 川北系と波部系、1987年に兵庫県農業試験場が選抜した兵系黒3号の在来品種優良3系統の総称。篠山市では減反政策による転作、ほ場整備により生産が拡大し、現在の栽培面積は約800ヘクタール。100粒の平均重量は約80グラムに増えた。篠山市は2005年、特産物振興専門の丹波篠山黒まめ課(現・同係)を設置。06年に黒枝豆の解禁日を設定した。11年にはJA丹波ささやま申請の「丹波篠山黒豆」が地域団体商標に登録された。

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