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第5部 海山美(みやび)の春

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 江戸時代、「東の群馬、西の但馬」と称された養蚕の本場、養父郡(現養父市)を含む但馬地方。生産が途絶えた今でも住民たちは白くて丸い「繭玉(まゆだま)」を神社の祭壇に供え、カイコへの「愛」を営々と紡いでいる。

カイコ愛 紡ぎ続け
住吉神社の節分祭。手作りの「繭玉」が本殿に鎮座する=養父市八鹿町高柳(撮影・大山伸一郎)
住吉神社の節分祭。手作りの「繭玉」が本殿に鎮座する=養父市八鹿町高柳(撮影・大山伸一郎)

 白くて滑らかで、丸っこい繭玉。108個が祭壇に積まれた。雪が残る本殿の前で、氏子ら十数人が深々と頭を下げる。

 2月3日夜、養父市八鹿町高柳(たかやなぎ)の住吉神社。かつて養蚕で栄えた地区では、明治期から節分に繭玉を供える風習が始まったという。

 繭玉といっても、カイコが糸を吐き、自らの体を覆う“本物”とは違う。米粉を水で溶いて固め、似せたものだ。唐辛子と煮た黒豆と一緒に、参拝者に配る。繭玉はカイコへの感謝を込め、黒豆は鬼を寄せ付けないために。

 「おカイコさん」。そんな言葉を耳にした。「尊敬を込めてそう呼ぶんや」。前組長の藤原満さん(61)が教えてくれた。

 養父郡(現養父市)を含む但馬は江戸期、「東の群馬、西の但馬」と称された養蚕の本場。平成に入って途絶え、職として受け継ぐ人はいなくなったが、「カイコ愛」は営々と紡がれている。

快適さ追求「養蚕住宅」
養蚕住宅の町並み=養父市大屋町大杉
養蚕住宅の町並み=養父市大屋町大杉

 ピリ、ピリ。ムシャ、ムシャ。

 真夜中、天井から何やら不気味な音が聞こえてくる。

 「おカイコさんが桑の葉を食べる音よ。みんなが寝静まると、一晩中聞こえたわ。その音が怖くて、怖くてねえ」

 2月2日。養父市八鹿町高柳(たかやなぎ)の公民館に、節分祭の準備で地域の女性たちが集まった。米粉の繭玉を手で丸めながら、石田美幸さん(73)が思い出を語る。「2階と3階はおカイコさんの部屋やったからね」

 養父郡(現養父市)の養蚕は江戸後期から盛んになり、1950(昭和25)年には兵庫県内の繭生産量の4分の1を占めた。山に囲まれ、寒暖差が激しい土地で、養蚕は但馬牛とともに現金収入を得る貴重な産業だった。だから、カイコも牛も同じく「1頭、2頭」と数える。

 カイコは室温20度を下回ると冬眠し、暑すぎると死ぬ。人よりも、カイコにとっての快適さを追求した「養蚕住宅」が次々に建てられた。

 1階でたいた火の熱が伝わりやすいよう、上階の床は隙間の多い「すき板」にした。熱を逃がさぬよう外壁は土で塗り固め、3階の屋根には通気口の「抜気(ばっき)」を設けた。石田さんの幼いころの思い出は、数多くのカイコと暮らした家とともにある。

 養父市内には、2階建ても合わせて700棟程度が残る。特に多い大屋町大杉地区は昨年、国の重要伝統的建造物群保存地区に選ばれた。

 カイコの体内で作られ、つややかなシルク(絹)を生み出す生糸は、安くて丈夫な化学繊維に取って代わられた。養蚕住宅はあっても、養蚕農家はもういない。

日本初の“技術輸出”
上垣守国養蚕記念館に展示されている「養蚕秘録」=養父市大屋町蔵垣
上垣守国養蚕記念館に展示されている「養蚕秘録」=養父市大屋町蔵垣

 養蚕文化を絶やしたくない。そんな思いで活動するのは、養父市大屋町蔵垣(くらがき)の「蔵垣かいこの里の会」。2001年に発足し、年に約2千頭のカイコを飼育し、繭玉を使った人形を創作したり、糸引き体験を催したり。地区にある「かいこの里交流施設」に集まる。

 「蔵垣の偉人が書いた本を紹介しますよ」

 松原一朗会長(67)が熱く語る。交流施設の向かいにある「上垣守国(うえがきもりくに)養蚕記念館」。昭和初期の養蚕住宅を再現した。鍵の掛かったショーケースの中に、3冊の古書が並ぶ。

 「養蚕秘録です。今でも、養蚕界のベストセラーです」

 ページを繰ると、繭のイラストが目に入る。江戸後期、蔵垣の庄屋だった上垣守国(1753~1808年)が著した。養蚕の先進地だった群馬や福島の生糸が「上等糸(じょうとうし)」とされたのに対し、但馬は「下等糸(かとうし)」と低く見られた。上垣は諸国を歩いて技術を学び、卵の取り方や飼育法、繭から糸を取る方法を、庶民に分かりやすく指南した。「働けど働けど貧しかった但馬の農家を思ってのことでした」と松原さん。

 養蚕秘録は長崎・出島の医師シーボルトが欧州に持ち帰った。当時、欧州ではカイコの病気がはやり、農家が苦境に陥っていた。秘録は「YO-SAN-FI-ROK」としてフランス語に翻訳され、その技術が生産の改善に役立ったと伝わる。

 養父市教育委員会の谷本進次長(59)は「日本初の『技術輸出』だった」とみる。1872(明治5)年、群馬県に富岡製糸場ができ、生糸は日本の近代化の扉を開く。

「養蚕」テーマにアート
「アートを通して養蚕を伝えたい」。蔵垣地区を背に、子どもたちと桑を描いた絵を掲げる中島明日香さん=養父市大屋町蔵垣
「アートを通して養蚕を伝えたい」。蔵垣地区を背に、子どもたちと桑を描いた絵を掲げる中島明日香さん=養父市大屋町蔵垣

 「かいこの里の会」は60歳以上が中心だ。若手のホープは、養父市出身で、1年半前に東京から戻ってきた中島明日香さん(32)。蔵垣の空き家を借り、市の地域おこし協力隊として働く。

 養蚕との出会いは衝撃的だった。「虫が苦手なのに、どんどんカイコを手に載せられて…」。会で飼育を学び、観察を続けるうちに、愛らしさを感じた。「いつの間にか、私もカイコさんと呼んでました」

 都会に憧れ、大阪芸術大に進学し、就職で東京へ。4年前に祖父文男(ふみお)さんを亡くしたのを機に、古里をもっと知りたいと思い始めた。

 「『何もない場所』という印象が『日本が残っている場所』に変わった。私の実家も昔、養蚕をしてたんです」。もう聞けない祖父の語りがよみがえる。養蚕にのめり込んだ。

 いま、地元の子どもらと「養蚕をテーマにしたアート」に取り組む。大きなカンバスに、カイコの餌となる桑を描いた。日ごとに増すカイコさん愛。春を待つ養蚕の里に、軽やかに新風を吹き込む。

(記事・金慶順、上田勇紀 写真・斎藤雅志、大山伸一郎)

【養蚕】
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 卵からかえったカイコは、桑の葉を敷き詰めた蚕棚(かいこだな)の上で、3~4日ごとに「1眠」「2眠」と呼ばれる睡眠と脱皮を繰り返して成長する。10センチ程度に大きくなった後、糸を吐いて繭玉になる。繭玉は百数個のカイコの部屋が並ぶ器具「回転まぶし」の中で作られる。その様子は6月中旬、養父市大屋町蔵垣の「かいこの里交流施設」で見学できる。

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