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第5部 海山美(みやび)の春

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 但馬の雪深い冬を乗り越えた集落。子牛の元気な姿が季節の移ろいを告げる。「春が来る」と書く春来(はるき)峠では、雪解けを思わせるみずみずしい十割そばを打つ音が響く。日本海で獲れたばかりのホタルイカは、にぎわう浜辺で笑顔に包まれる。待ち焦がれた海山美(みやび)の春。すべてがまぶしい輝きを放つ。

春来には、春が似合う
桃の花が彩る峠の集落を、子どもたちが駆け回る=兵庫県新温泉町春来(撮影・大山伸一郎)
桃の花が彩る峠の集落を、子どもたちが駆け回る=兵庫県新温泉町春来(撮影・大山伸一郎)

 標高400メートルほどの峠の小さな集落で受け継がれてきた十割そばに、見た目の派手さはない。ただ、素朴で清らかだ。

 かつて、峠は京都と出雲を結ぶ山陰道の難所として旅人を苦しめた。兵庫県新温泉町春来(はるき)。冬は3メートルもの雪に閉ざされ、往来だけでなく、暮らしも険しさを増す。

 なりわいの農業も林業も成り立たない。男性は、金銭収入を求めて出稼ぎに。残った女性と子どもは、ひたすら春を待った。

 律令(りつりょう)制下の「春木」の地名が明治時代に変わったのも、一日千秋で雪解けを待ち焦がれる村人たちの思いからと伝わる。

 4月上旬、花びらが舞う集落で「春来そば生産組合」の中村光徳組合長(69)が笑った。「日が照って、生暖かい風の中をトラクターが走り回る。春来には、やっぱり春が似合う」

 そばをすする。但馬の山あいで培われたみずみずしさが、口いっぱいに広がる。

湯村に春 ホタルイカ
春があふれるホタルイカ料理=兵庫県新温泉町湯、佳泉郷井づつや
春があふれるホタルイカ料理=兵庫県新温泉町湯、佳泉郷井づつや

 兵庫県新温泉町春来(はるき)の集落の西を通る国道9号に沿うように、一筋のせせらぎが北へ続く。春来川。その流れは、1980年代のドラマ「夢千代日記」で脚光を浴びた湯村温泉街(新温泉町湯)に至る。

 サーッ。川音が湯治客の火照った体を静かに癒やす。「荒湯(あらゆ)」と呼ばれる98度の温泉が湧き出る湯つぼがある。もうもうと湯煙が立ち込め、淡い湯の香りが漂う。卵を漬けて温泉卵にするもよし、適温の足湯でじんわり温まるもよし。

 家族連れやカップルが思い思いに楽しむ川沿いの旅館街に4月初旬、ホタルイカが春を告げた。老舗の「佳泉郷(かせんきょう)井づつや」では、やはり春告げ魚のサワラと合わせて木の芽味噌(みそ)田楽焼きにする。桜エビとトロロとじ鍋でも味わえる。

 井上明彦調理長(54)が胸を張る。「全国的には富山の方が大きくて有名ですけど、但馬のは小さくても、皮も身もプリプリしておいしい。春を感じてもらえたら」

盛り上がる 早食い競走
ホタルイカを頬張る「全日本わんこほたる選手権」。ほたるいか祭りに訪れた人たちが、早食い競争を見守る=兵庫県新温泉町芦屋、浜坂漁港
ホタルイカを頬張る「全日本わんこほたる選手権」。ほたるいか祭りに訪れた人たちが、早食い競争を見守る=兵庫県新温泉町芦屋、浜坂漁港

 ホタルイカの水揚げで知られるのが浜坂。春来川が合流する岸田川が注ぐ、日本海でも指折りの漁港だ。

 4月1日午前7時すぎ。仲買人ら約40人が、4千箱ほどの発泡スチロールを囲んでいた。カランカラン。競り人の鐘の音と、威勢のいい掛け声が響く。

 1箱、ふたを取って中のホタルイカを見せる。「3カン! 3カン3カン3カン3カン!」。千円を意味する「カン」の連呼に、仲買人が指を立てて応じる。

 勝負は一瞬で決まる。4千箱が10分で売り切れると、慌ただしく舞台転換が進む。この日は、年に一度の「浜坂みなと ほたるいか祭り」。大釜でゆでたホタルイカの振る舞いに長い列ができていた。

 しゃぶしゃぶに沖漬け、ラーメンなどメニューは多彩だ。クライマックスは、制限時間内にゆでたホタルイカを食べる量を競う「全日本わんこほたる選手権」。汗ばむ陽気に包まれ、港が活気に沸く。

 「ホタルイカでこんなに人を呼べるんか」。祭りの実行委員長を務めた浜坂漁業協同組合の川越一男組合長(63)は、20回目を迎えた今も、驚きを隠さない。

 35年ほど前までは、底引き網に掛かっても海に捨てていた。試しに2箱持って帰ると、「富山では海のダイヤモンドと言われるもんだ」と仲買人に教えられ、初めてその価値に気付いたという。

 今季は冬場の当初、浜坂沖でまれにみる不漁に見舞われた。漁場を求めて島根・浜田漁港の100キロ沖まで出向き、何とか安定供給につなげた。「カニに次ぐブランドだ。認知度は富山の方がまだ高いけど、追い付け、追い越せだ」。春の陽光を受けて乱反射する海を見つめながら、川越組合長が勢いづく。

大日祭 子牛の健康願い
生まれたばかりの子牛を慈しむ「ふくよ」。春先は但馬牛の出産のピークでもある=兵庫県新温泉町春来
生まれたばかりの子牛を慈しむ「ふくよ」。春先は但馬牛の出産のピークでもある=兵庫県新温泉町春来

 「10月に嫁に来た翌月に、夫が奈良の酒屋に出稼ぎに行って。『仕方ないけど、薄情や』って思い続けとったら、春が来るのと一緒に帰ってきました」

 但馬牛の繁殖農家を営む福井由子さん(78)が、60年ほど前の新婚生活を笑いながら振り返る。出稼ぎの慣習が消えた一方で、若者が減り、小学校も閉じた春来集落の片隅で、夫の清溢(きよいつ)さん(83)と2人、母牛6頭を育てている。

 古い木造の牛舎には、壁にも柱にも、そこかしこにお札や絵馬が張り付けられている。真新しい文字で「大日如来 牛馬皆安全」とある。まだ雪深い1月28日、但馬牛の本場とされる香美町小代(おじろ)区で催された牛の健康を祈願する「大日祭」に足を運び、もらってきたものだ。

 「神頼みですやー。いい子、生まれて、無事に大きくなってくれるように」

 4月2日。願掛けが通じたのか、初産の「ふくよ」が健康な子牛を産んだ。母に寄り添ってお乳を飲み、わらにくるまって寝る愛らしい姿に、福井さん夫妻の表情がほころぶ。

 日を追うごとに、白く染まった集落が色づいていく。牛舎の前には、散り際の桜の木。牛を連れ出し、青空の下で放し飼いにする機会も増えてきた。

 待ち焦がれた峠の春。芽吹く緑とともに、駆け足で夏へ。(記事・上田勇紀、小川晶 写真・大山伸一郎、斎藤雅志)

【春来峠】
神戸新聞NEXT
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 兵庫県新温泉町と香美町の境にある峠。古来、山陰地方と京都を結ぶ交通の要衝として知られた。その険しさは有名で、明治時代、赴任してきた役人が峠越えのつらさに耐えかね、職を辞して帰ったという逸話から「辞職峠」の異名が伝わる。新温泉町出身の歌人、前田純孝(1880~1911年)は、その情景を「牛の背に 我も乗せずや 草刈女 春木(春来)三里は あふ人もなし」と詠んだ。

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