第7部 水ものがたり
暑すぎるこの夏、兵庫の海水浴場を歩いた。透き通る青に目を奪われた竹野(豊岡市)、目の前の海の恵みが味わえる林崎(明石市)、おしゃれなビーチが年々変貌を遂げていく須磨(神戸市)。昔「浜茶屋」今「海の家」。浜辺の休憩所越しに、海水浴の今を楽しむ。

全部、青い。
NHKの朝ドラではないが、空も海も青い世界。
ここは豊岡市竹野町の竹野浜海水浴場。リアス式海岸特有の入り込んだ狭い浜が多い但馬では珍しく、約1キロにわたって遠浅の砂浜が緩やかな弧を描く。
靴を脱ぎ、ズボンの裾をまくり、波打ち際を歩く。白く細かい砂が足の裏に心地よい。気が付けば、膝の下まで水に浸していた。
太陽の光が強くなる初夏から夏にかけて、透明度はぐんと増す。人呼んで「竹野ブルー」。日本画のような澄んだ落ち着きがある。
たけの観光協会会長の青山治重さん(71)によると、竹野浜は東西から半島や山に抱かれ、強い波風を受けない。川がないため、水や土砂が流れ込まない。「時間をかけて、細かく砕けた貝と砂の白い浜が保たれてきました」
江戸時代の絵師・歌川広重もモチーフに選んだという絶景。戦後、多くの家族連れらが海水浴に訪れ、1960~70年代には年間50万~60万人を数えた。
近年はレジャーの多様化もあり30万人台にとどまるが、海上アスレチック、カヌー、ダイビング、愛犬と触れ合えるビーチなどの趣向を凝らす。城崎温泉から足を延ばす訪日外国人客も少なくない。
炎天下で、少々はしゃぎ過ぎた。浜辺に「日の出屋」の看板を見つけ、逃げ込む。年季の入った木の骨組みにトタン屋根が架かった質素な建物だ。
中はござ敷き。焼きそばやかき氷を食べる子どもたちの傍らで、お父さんがごろ寝をしている。開業30年余り。アットホームなもてなしにほっとする。「昔ながらの浜茶屋。毎年来られる人もいます」と経営する山田洋子さん(71)。
ハマヂャヤ? 看板をよく見ると、「浜茶屋 日の出屋」。海水浴場のホームページには「大音量の音楽のカフェ&バーのような海の家はありません。風が通る素朴な浜茶屋をお楽しみください」とある。「海の家」とはまた異なる風情。青が一段と染みる。

こんがりと日焼けしたアスリート風の男性が、長さ30センチ近くはあるアナゴに頭から豪快にかぶりつく。
夏、明石市の林崎海水浴場にお目見えする「ビーチくま」。開業30年余り、鉄骨組みにトタン屋根は変わらない。オーナーの笹川園子さん(54)は「アナゴもタコも朝近くで取れた『前もん』。お客さんにおいしいもん食べてほしいやん」と笑う。
砂さえ落とせば、水着のままで上がれる、昔ながらのござ敷きが家族連れらに人気だ。穴場感が受けるのか、神戸や阪神間からもリピーターがやって来る。「この建物の呼び方? 『海の家』言うけどな」と笹川さん。「でもな、正式には『浜茶屋』なんやて」と続けた。
明石市に聞くと、公的な書類上は「浜茶屋」。竹野浜(豊岡市)や香住海岸(兵庫県香美町)など日本海側に多い呼称が、なぜ明石で聞かれるのか。ちなみに淡路島では、聞く限り「売店」「海の家」だった。

「古来、日本人が海に入るのは、宗教儀礼や漁業、潮干狩りの時ぐらいだった」。海の家など海洋建築工学が専門の日本大学理工学部の畔柳(くろやなぎ)昭雄特任教授(65)は話す。
海水浴場は18世紀中ごろ、英国発祥だが、病気などの治療が目的だった。日本では明治期、医学者らが効用を伝えた。1880(明治13)年、大阪鎮台の兵士がかっけを治すため、須磨・明石の海岸で日本人として実質的に最初の海水浴をした。
当時の読み方は「ウミミズユアミ」。水に体を静かに浸し、波がぶつかる刺激で皮膚や心身を鍛えた。干満の差が大きく、波が強い場所が選ばれた。海にくいを打って流されないようつかまったとの話も残る。
現在の海の家に当たる施設が計画的に開かれたのは、その5年後。大磯照ケ崎(神奈川県)の海水浴場に「海水茶屋」の名で登場した。
その後各地に広がるが、呼び名は地域で異なり、畔柳さんによると、四国では「桟敷」、神奈川や房総、新潟が「浜茶屋」、千葉では高床式の「納涼台」と呼ばれた。
明治20年代以降、遊泳や娯楽の「カイスイヨク」の様相が濃くなる。海水浴場に適した条件も、波が小さい▽水質がきれい▽海底に岩石がない▽遠浅で安全-に変わった。
兵庫県内では須磨、明石のほか、1907(明治40)年に阪神電気鉄道が香櫨園浜に、25(大正14)年には浜甲子園に海水浴場を開設。水泳の練習所もできた。海水浴は国民的な一大イベントとなった。
海の家は「シーハウス」「ビーチハウス」とも呼ばれたが、昭和初期に鉄道省が関東で「海の家」を営んで以降、その名が広まったらしい。
戦後は水質汚濁が進み、65(昭和40)年に香櫨園、甲子園の両海水浴場が閉鎖された。その後もレジャーの多様化などで、日本人の海離れは止まらない。日本生産性本部のレジャー白書によると、海水浴客数は2016年には730万人と、30年間でほぼ5分の1にまで減少した。

「『きょうは焼けるように暑いね』って、英語で何て言うの?」
「It's sizzling hot day!」
神戸市須磨区の須磨海水浴場。約70年続く「海の家カッパ天国」は、スタッフによるマイクパフォーマンスが特徴だ。この日は、英語を話せるスタッフの「海辺で使える英会話教室」だった。おしゃれなカフェ風や南国のバー風など新感覚の海の家が次々と登場する須磨で、今や少数派となった座敷タイプ。家族連れらが釜揚げちりめん丼やモモのかき氷を頬張りながら聞き入る。
3代目の幸内(こううち)政年さん(42)は「落ち着ける雰囲気が好まれるのか、うちは親子連れを中心にリピーターが7割ぐらいです」と話す。
約10年前は年間100万人前後が訪れた須磨も、マナー悪化などで11年には53万人に激減。市は砂浜の遠浅化や防犯カメラの増設、水上バイクの禁止などの対策を取り、17年は73万人に回復。今年は、砂浜の一部にアルコールの持ち込みを禁止する家族向けのエリアを設けた。
「うちも元は浜茶屋。釣り船の休憩所でした。昔ながらの情緒を大切に受け継ぎたい」と幸内さん。
あの夏、家族で語り合った。潮風に吹かれ、火照った体にかき氷…。そんな記憶と結びつき、「また来たい」と思ってもらえる場所であり続けるために。
(記事・佐伯竜一 写真・大山伸一郎)

父母が山口県柳井市の瀬戸内海沿岸出身で、夏になると、ほぼ毎年泳ぎに行っていた。
小さな集落で人が少なく、海の家などはなかった。浜辺から徒歩1分にある母の実家で、伯父や伯母、いとこと楽しすぎる時間を過ごした。
実は「浜茶屋」という呼び方は知らなかった。訪ねると、母の実家にいるような感覚で、「また来たい」と思った。この夏は、浜茶屋か海の家に息子と行ってみようかな。