第7部 水ものがたり
兵庫県は広い。瀬戸内側ではなじみがないが、丹波から但馬、北西播では夏の風物詩となっている「川裾」(かわすそ)祭り。地域によって名前が「川下」「川禊」「川濯」…。何が違い、何が一緒なのか。

真夏の長い日が落ちて、川をゆらゆら、灯が滑る。
8月5日、丹波市氷上町本郷。灯籠流しが、加古川のほとりに古くから伝わる川裾(かわすそ)祭りに風情を添える。
川の中の踏み板は四隅に青竹が立つ斎場だ。手から離れた紙灯籠は、葛野川との合流点へ。川は出合いを繰り返し、瀬戸内海へと注ぎ込む。
「3年前までは、祭壇も川の中にこしらえてましたが、人が減って…」と上田三雄自治会長(68)。世話役の川裾講中は、神棚を堤防に上げ、祭日も8月3日から日曜に変えた。
川に向いた神棚の前で、大祓詞(おおはらえのことば)が奏上される。
本郷は江戸時代、加古川舟運の終点として栄えた。「川裾祭りもこのへんでは一番古いんと違うかな」。玉串をささげ、上田さんがそう話す。
瀬戸内側ではなじみがないが、実は丹波から但馬、北西播に広がる川裾祭り。だが、川下(かわすそ)、川禊(かわそそ)、川濯(かわそそ)…と名前はさまざま。一体、何が違うのか。

夏のかげろうが見せる幻か。
ビーチにこつぜんと現れた祭殿。それは、但馬三大祭りの一つである川下(かわすそ)祭りのお旅所だ。
兵庫県新温泉町浜坂。鳥取に近い漁師町では7月の海の日までの3日間、神輿(みこし)や鉾(ほこ)などの山車、芸屋台が練り歩き、祭りの熱気に包まれる。
「お旅所は岸田川尻の砂浜だったが、台風で砂が流れてしまった」と宇都野(うつの)神社の中島政邦前宮司(69)。河口から数百メートル西のビーチに移ったのは、2007年のことだ。
婦人病に霊験あらたかといわれ、下半身に砂をかけたまま夜通し祈る奇習「砂ごもり」もとうに廃れた。おこもりは「因幡(いなば)の山間部から来る人が多かった」という。砂にぺたんと座る高齢者は今もあるそうだが、辺りは花火目当ての人がもっぱら。祭りも時代の波に洗われる。
だが、「昔ながらの『砂盛り』をするところがある」と同神社総代の岡部良一さん(71)は言う。
神輿行列の後を追うと、あった。
元庄屋という屋号の家。広間の前の道にこんもり二つの砂山があり、雲を表す塩が降りかかる。
「うちから始まった祭りだと聞かされてるので、ようやめません」と羽織姿の松岡偉雄(いさお)さん(49)。巡行の麒麟獅子(きりんじし)や神船も、厄払いの門付けに一層力を入れる。そしていよいよ大きな茅(ち)の輪(わ)のアーチをくぐって、お旅所へ。神輿が砂煙を上げて練り合い、麒麟獅子が舞を奉納する。
「浜坂のカワスソさんは、京都の祇園さんと合わさり大きくなった」と岡部さん。江戸時代、宇都野神社は牛頭(ごず)天王社といい、祇園信仰の神を祭る。岸田川の河口に流す茅の輪は夏越(なごし)の大祓(おおはらえ)の行事だ。
京都の影響は、浜坂が天領だったことによると考えられる。それに対し、麒麟獅子舞は因幡系の獅子舞。「あちこちの文化が融合しているのが、ユニークなところです」

川禊(かわそそ)祭りがあるのは宍粟市一宮町河原田(かわはらだ)。7月の西日本豪雨で揖保川の支流が氾濫した地区だ。
「災いを避けるために禊(みそ)ぎをするが、皮肉にも水害が出てしまった」と進藤千秋宮司(69)。7月の30日、ほこらを川の合流点に作るのは取りやめ、祝詞は八幡神社で。玉串だけは例年通り川へ流し、手をそそぐ。
川濯(かわそそ)祭りと呼ぶのは豊岡市日高町浅倉。兵主(ひょうす)神社の摂社、水無月(みなつき)神社から神輿が出て、円山川に漬かる。祭日は30日で平日。「担ぎ手がぎりぎりで、今年は無理かと思った」と総代の秋山孝太郎さん(74)。今でも川に入る風習を守るのは珍しい。
「川合三(かわっさん)」の字を当てているのは多可町八千代区中野間。加古川水系の3本の合流点に川下(かわしも)神社がある。そのうち大和川の上流、同区大和の小さなほこらは「川しろ神社」だ。杉原川が流れる同町加美区では寺内や箸荷(はせがい)に「川裾神社」が。その上流の轟(とどろき)では「河上神社」参道の石の祭壇にほこらを仮設するという。
川裾祭りも丹波市内で少しずつ、かたちが違う。
市島町市島では竹田川に架かる橋の欄干に祭壇を設け、カヤで屋根や壁を覆う。氷上町成松では葛野川の堤防に「川裾大明神」の碑があり、祭日は幕を巡らせた神座も建てる。柏原町の柏原八幡宮では鳥居の前の御手洗(みたらし)川に祭壇を置く。お供え物や御幣を載せた葦(あし)舟の下に座るのは、なんと河童(かっぱ)の像だ。

川すそ祭りとは何なのか。
「民間行事だから、記録はあまり残らない」と篠山市の民俗学者久下(くげ)隆史さん(69)。本質は清めの行事で旧暦6月(水無月)末の大祓が時期的に取り込まれたとし、川の合流点は「祓いの力の高い禊ぎの場」だと指摘する。婦人病の神とする由来も明らかでないが、「そそ(女陰)」の語や川が交わる土地の形状からの連想と考える人もある。
信仰の分布は意外にも「兵庫県の次に北海道が多い」と北海道博物館の舟山直治学芸部長(60)。道南では1600年代から祭られ、明治期に小樽方面に北上。本州では兵庫から北陸にかけて点在しており「北前船を通じた交流の一端」と推測する。北海道では祓いの神から安産の神となり、「神様の性格は地域によって変わっていく」とする。
水上の道を船は行く。船が走れば人が動き、人が動けば文化も動く。カワスソさんも流れ流れて行く先の水に合わせて変わりゆく。
(記事・田中真治 写真・大山伸一郎)

播州方面には「川スソ祭り」があるが、枯木(かれき)浜には瀬戸内唯一の奇祭「潮浴び祭り」がある-。そう案内板に記すのは、淡路市の枯木神社だ。
例祭は7月土用の丑(うし)の日。浜辺の子宝石に座り潮浴びをすると健康になる、という。
この日、水に浸る習慣は全国にあり、神戸では夏病みをしないと盛んだった。京都の下鴨神社の御手洗祭も同様。禊ぎの名残と考えられている。
柏原八幡宮の川裾祭も別名、御手洗祭。とかく夏の祭りと水の信仰は結びつきが深い。