第7部 水ものがたり
兵庫県を代表する特産品「揖保乃糸」。暑い夏、行楽地でも家庭でも人気が高まるそうめんの秘密に迫ってみると、播磨はもちろん淡路にも産地のこだわりがしっかりと残っていた。猛暑を乗り切るためにも流しそうめん、食べてみませんか。

真夏の日差しが、緑に覆われた山あいの川面に注ぐ。踊るような水と光のきらめきに、32本の細長い影が重なる。
「ほら、来たよ」「取れた、取れた」。せせらぎを打ち消すように、歓声が響く。高さ数メートルの地点で、渓流をまたぐように樋(とい)の列が連なっている。
宍粟市波賀町戸倉の「滝流しそうめん」の売りは、約30メートルという距離にある。対岸から手元に届くまでたっぷり30秒。氷ノ山の雪解け水に冷やされた麺が、待ちわびた客の喉を潤す。
長さも一級、自然豊かな環境も、32席という規模も一級の流しそうめん。もちろん、麺も一級品だ。
兵庫県を代表する特産品「揖保乃糸」。手延べそうめんで全国最大のシェアを誇り、知名度も抜群だが、ブランド名の由来は意外と知られていない。そもそもの等級では、1番どころか、5番手の銘柄だったというのだ。

油が染みた木の床板が鈍く光る。眠っているかのように静かな数種の機械。小麦粉をこねる、細くする、よりを掛ける。役割はそれぞれ異なるものの、夏が終われば一斉に動きだし、特産の「揖保乃糸」を生む。
「春からのシーズンオフもじきに終わり。また、午前2時半起きの生活や」。明治期から続く「伊豆原製麺」(たつの市)の5代目、伊豆原悦伸さん(63)が笑う。
冬の冷たく乾いた空気の中、綱のような生地を丁寧に延ばしていく。しこしこと歯応えがあり、喉越しのさっぱりとした腰の強いそうめんとなる。機械化が進んだとはいえ、手延べのこだわりは、今も昔もその細さにあるといっていい。
揖保乃糸の製造・販売を仕切る兵庫県手延素麺(そうめん)協同組合(同市)によると、生産量の8割を占める「上級」の太さは0・7~0・9ミリ。熟練者が手掛ける「特級」は0・65~0・7ミリで、最高級の「三神(さんしん)」は0・55~0・6ミリとさらに細い。
ただ、草創期の等級は異なる。1894(明治27)年の基準では、1等が「三神乃糸」で、「聖(ひじり)乃糸」「三幡(みはた)乃糸」「誉(ほまれ)乃糸」と続き、5等にようやく「揖保乃糸」が登場。今でこそ唯一無二の統一銘柄も、当時はランキング下位の等級の名称でしかなかったわけだ。
組合の天川亮さん(42)が説明する。「技術や労力を考えると、基準の厳しい1等を量産できない。業者にとって最も安定的に生産しやすかったのが揖保乃糸であり、ブランドとして定着していったようです」
昭和初期まで、ほぼ全ての工程を人力で賄っていた揖保乃糸。職人は朝早くから夜遅くまで働きづめで、「作業唄」を歌って寒さと眠気を紛らわせていたそうだ。
♪そうめん師殺すには刃物はいらぬ 雨の10日も降れば死ぬ
♪雪の肌えに赤帯締めた 姿かわいや揖保乃糸
♪色で迷わし 味では泣かし ほんにおまえは揖保乃糸
歌詞ににじむ辛苦と愛情、そして誇り。多彩な調理法のPRや海外の販路開拓など、確立したブランドの展開が進む一方で、独特の節回しは消えかかっている。

茶、納豆、ごま油、しょうゆ…。
7~9世紀の遣唐使が持ち帰り、普及したと伝わるものは多い。その一つが小麦粉を練ってより合わせた「索餅(さくべい)」で、そうめんの原形とされる。京都や奈良の寺院を中心に生産され、小豆島(香川県)や島原(長崎県)など、手延べの産地へ伝わった。
揖保乃糸の播磨では、室町期以降に定着した。生産に適した揖保川の軟水と、流域の豊かな農地。小麦粉をこねる工程で使う塩も、赤穂など近場で調達できたため、多くの農家に裏作として広がった。
兵庫県内では、摂津にも伝来の記録が残るが、今もそうめんの組合があるのは播磨のほか、淡路だけだ。鳴門海峡を望む南あわじ市福良周辺で江戸後期、冬の荒天で沖に出られない漁師の副業として始まったという。
どちらも、そうめんの“総本山”大神(おおみわ)神社(奈良県)の分社をまつるなど共通点がある。だが、播磨の製造業者が宍粟、たつの市などの約430社に上る一方、淡路では、ピーク時の100社超が、後継者不足で現在は14社まで減っている。

今月5日、神戸市灘区の飲食店で、淡路そうめんの普及イベントがあった。常連客らが、長さ8メートルの樋(とい)を囲み、流しそうめんに舌鼓を打つ。
店内の販売コーナーには、ラベルのない袋詰めのそうめんが並んだ。直径0・3ミリ程度で、触れただけで折れそうなほど、とにかく細い。淡路の組合でも、「北原製麺所」だけが、数軒の料亭に卸すために生産する幻のそうめん「先岳糸(せんがくいと)」だ。
「産地の規模は大きくないが、技術は高く、手間を掛けたこだわりの商品も作ることができる」
イベントを企画した南あわじ市の地域おこし協力隊員、小林康悦(やすよし)さん(56)が魅力を話す。今はまだ余剰品の試し売りの段階だが、将来の商品化を見据え、同製麺所に増産を提案しているという。
兵庫の旧五国で最も豊かだった播磨と、「御食国(みけつくに)」の看板で集客を強化する淡路。兵庫が織りなすそうめんの糸は、それぞれの特性を受け継ぎながら、時代を紡いでいく。
(記事・小川 晶 写真・大山伸一郎)

三神、聖、三幡…。かつて「揖保乃糸」を従えた銘柄の由来も、ローカル色にあふれて面白い。
2等の「聖」は聖ケ丘(姫路市林田町)の地名から。「三幡」は林田川沿いの三つの八幡神社、「誉」は、たつの市誉田町の祭神から付けた。
揺らん期の気概にあふれるのが1等の「三神」。大神神社の三つの鳥居にちなみ、三輪そうめんを追い越す願いが込められていたという。
でも、一番分かりやすく、しっくりくるのは…、はい、ご一緒に。“そうめん、やっぱり”揖保乃糸~。