震災から三日後。芦屋浜に建設中の「あしや喜楽苑」前で、尼崎老人福祉会の副理事長市川禮子さん(57)は、ぼう然と立ち尽くした。
鉄筋四階建ての施設が西の海に向かって、かしいでいる。すでに主要な工事は終わり、内装を残すだけだった。中庭に入ると、大きな亀裂が口を開け、海水が地盤をさらっていた。
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芦屋市で二番目の特別養護老人ホームとして、喜楽苑は今年四月にオープンするはずだった。シーサイドタウン西南角の海岸ぞいの絶好の環境。「しおさいにつつまれて」がキャッチフレーズである。ショートステイ、デイサービス、在宅介護支援センター、ケアハウスなど八つの事業を予定し、芦屋市の総合的な福祉ゾーンという位置付けもあった。
特養の定員八十人の八割が決まっており、一刻も早く補修して開設しなければならない。が、それを阻んだのは法律だった。
被災した福祉施設は、再建費用の約六分の五が国と県から補助される。だが、喜楽苑には適用されない。被災がオープン前で、まだ設置認可を受けていなかったからだ。
建物を元に戻し、地盤改良に要する費用は十四億円。運営する尼崎老人福祉会は、すでに建設費として六億円を用意。借金し、寄付を募り、関係者が私財を投じた。「これ以上は、小さな法人の限界を超えている」
そもそも建物が一メートルも傾いた原因の一つは、地中深く基礎杭(きそくい)を打てなかったことにある。護岸を守るため海岸法で制限されている。ところが、液状化で護岸が崩れ、建物も影響を受けた。
福祉計画そのものにかかわる芦屋市は、喜楽苑と”二人三脚”で再建策を模索した。国の陳情項目に必ず入れ、大臣や中央省庁幹部の視察の見学コースにも加えた。しかし、県は、こうした市の積極姿勢に難色を示す。
「解決策が延び延びになっていくうちに、県が『うちを通してほしい』と言い出した」と、芦屋市の木戸正行福祉部長は明かす。四月から国との交渉は県が行い、市は後ろに下がる。喜楽苑も直接、国へ訴えたいが、県は「任せてほしい」と首をタテに振らない。「県にそっぽを向かれたらと思うと、言いたいことものみ込んでしまう」
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四十人の職員も決まっていた。はるばる東京や長野から来た若者がいる。法人が運営する別の施設やケア付き仮設住宅で働きながら、じっと開設を待つ。
国が復旧の必要性を認め動き出した、との情報が伝わってきた。だが、いつ、どのくらい補助がつくのか、まだ分からない。「苦しいが、お金は何とかなる。待っている人のために早くゴーサインを出したい」。市川さんは準備をすべて整え、いらだちながら連絡を待つ。
復旧工事には十一カ月かかる。すぐに取り掛かっても、オープンは来年秋を過ぎる。
1995/10/17