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(2)不信感 行政に裏切られ続け 補修の公費負担に厚い壁
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 「住民の声に耳を傾けろー」

 小雨がぱらつく日曜日の午後。買い物客でにぎわうJR芦屋駅前のショッピング街に、時ならぬシュプレヒコールが響いた。

 「芦屋しなおし10・8行動」。区画整理など芦屋市が進める各種の復興計画に異議を唱える十の住民団体が企画、約二百五十人が参加した。シーサイドタウンの住民約四十人も拳(こぶし)を突き上げた。「液状化対策を」「シーサイドの復興を忘れないで」。手作りのプラカードに切実な願いが込められていた。

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 二月に自治会を核として結成された芦屋浜復興会議(川西譲議長)には、震災で生じたさまざまな問題が持ち込まれた。ライフラインの復旧、廃材の野焼き、支柱が破断した高層住宅の安全性…。住民同士で話し合い、対策を練る。

 一番の心配は地盤だ。液状化で建物を支える地耐力が弱まっていることが予測された。地下が泥のようになっていれば、補修してもまた家が傾く可能性がある。地盤の状況が分かるまでは、傾斜した家でがまんするしかない。

 芦屋浜を造成した兵庫県には、早くからボーリング調査を要望した。しかし、実施されたのは七月。都合のいいデータしか公表しないのでは、と住民も独自にボーリングし、県の結果と比較する。

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 阪神高速湾岸線の側道が芦屋から神戸・深江浜まで延伸される計画を、住民が初めて新聞記事で知ったのが五月。行政に対する不信感を募らせた。湾岸線の建設時に、住民が市と交わした確認書に反していたからだ。環境が大きく変化する場合は住民と協議することになっていたのが、一切、説明がない。市に抗議しても「『うるさいこと言うてる』という顔やった」という。

 そんな不信感は、すでに十六年前の街びらき時に芽生えていた。県と市が教育問題をめぐって対立し、小、中学校の開校が遅れそうになった。市側が水の供給を拒否し、住民は工事用の水でしのいだ経験があった。

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 震災後、住民側は何度となく行政と交渉を重ね、住宅補修の公費負担などを求める要望書を手渡した。県の担当者だけでなく、副知事にも直接、「個人負担は限界」と窮状を訴えた。五月には上京し、野坂浩賢建設大臣(当時)に陳情。衆院の委員会で新進党の議員に質問するよう働き掛けた。しかし、国や県は「個人補償はできない」と原則論を繰り返すばかり。パイプ役を期待した北村春江市長も再選後、住民との対話に消極的な姿勢に見える。住民には、行政への期待を裏切られ続けてきたという思いが強い。

 県のボーリング調査結果は、間もなく公表される。が、その結果にかかわらず、「補修方法のアドバイスはするが、公費は出せない」という方針は変わりそうにない。

 「時間がたてばたつほど(芦屋浜の復興が)ぼやけていくんじゃないかと心配」。問題解決の兆しが見えない現状に、復興会議の田中八郎事務局長らは焦りの色さえ見せている。

1995/10/15
 

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