レンガの朱色と木々の緑のコントラストが目にしみる。九月を迎えたパリの下町、バスチーユの初秋は、息をのむ美しさだった。
廃線となったレンガ造りの高架は緑が植えられ散歩道となり、高架下には家具、陶器、ガラス、楽器…など、フランス工芸を受け継ぐ店舗兼アトリエが約八十店並ぶ。
その間一・四キロ。合間にはカフェもある。「こういう発想がなあ…」。観光客や市民に交じり、神戸から訪れた小売業者らは焦りに近い衝撃を感じた。
活気の消えた旧市街地の再整備に、パリ市は後継者育成が急務だった職人を呼び込み、両者の再生を狙った。独自商品を生み出す「工房のまち」に人が引き寄せられ、モノづくりの現場がそこにあった。
視察を組んだのは神戸商工会議所。狙いは「神戸再検証」だった。観光、情報、スポーツ、コンベンション、そしてアーバンリゾート…。そこに防災というキーワードも加わった神戸。
「イメージは掲げても、果たして人や企業を呼び込む魅力はあるか」。人口復元や雇用創出に欠かせない都市の魅力、ビジョンが地元業者にも見えない。
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重厚長大から第三次産業へ。転換を探る神戸の施策は震災前から余儀なくされた道だった。造船や鉄鋼が限界を見せ、港不振が追い打ちをかけた。
「昭和五十年代にはすでに神戸の模索は始まっていた」。昨年まで日銀神戸支店長を務めた遠藤勝裕・本店電算情報局長は言う。ファッション都市や異人館に代表される観光戦略が走り出すなか、同氏は当時、同支店営業課長を経験した。
「人の流れが神戸経済を支えてきた。その流れが震災で断ち切られ、景気低迷や構造変化の波も押し寄せる。震災直後とは別の新たな局面に来ており、ここで手をこまねくと『人災』になる」。二十二日、神戸青年会議所に招かれた講演で遠藤局長はそう話した。
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震災から二年八カ月。ハードの社会資本は復旧のめどが立った。だが、人口は戻らず、企業も雇用も戻らない。大型連休の観光客は前年の八五%。高速道路が全通して、これだった。
雇用もひどい。前年同月比の雇用者数が全国でプラスに転じるなか、兵庫県内は昨年二月からマイナスのまま。県は「ここ一年半、雇用は増えていない。公共工事がピークを超え、その落ち込みをカバーする業種が出ていない」。民間信用調査機関も「業種間格差が広がり、息切れ脱落の倒産は高水準で推移」と予測する。
「震災後の財政投資が続くのは三年。その間に民間が被災地経済を支える構造にならねば、復興はままならない」。昨年解散した政府復興委員会の下河辺淳委員長が在任中に漏らした懸念は現実になりつつある。
笹山幸俊神戸市長は十八日、三選に臨む政策を述べた。なかで神戸のビジョンに触れ「安全、安心、快適…、これらの項目を集約すれば、震災を受けた時に戻って『アーバンリゾート都市』ということになる」とした。神戸空港も「次世代の雇用確保に貢献する都市施設」とする。
が、目の前の人口や雇用の問題にそのビジョンがどう作用し、次世紀へどう回復曲線を描くのか。道筋に不鮮明さは否めない。生活再建へ、企業再生へ、格差ばかりが広がるまだら模様の復興は、確かな指針を求め、あえいでいる。
(小野秀明、坂口清二郎、長沼隆之、西岡研介、宮田一裕、佐藤光展)=第17部おわり=
1997/9/27