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(3)ミナト袋小路 構造再編阻むしがらみ
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 「中国から帰国して痛感した。神戸の活性化はやはり港がカギだ」

 橋本首相はメモも見ず話し始めた。今月十二日、首相官邸。前日に内閣改造で揺れた永田町で全国知事会が開かれた。生活再建と産業復興へ支援を求めた貝原兵庫県知事に対し、首相は港から切りだした。

 「震災で荷物が移ったアジアとの差は、二十四時間荷役だ。県や市にも協力を願い、神戸の未来に弾みをつけたい」

 中国、そしてアジアを意識した発言。背景には、現職首相として初めて中国東北部を訪れた五日前の光景があった。訪れた経済技術特区の大連では国を挙げ港湾整備が進んでいた。

 アジア主要港と神戸の差は二十四時間荷役にとどまらない。大型バース、安い港湾使用料と労賃、簡素な入港手続き。「差を埋めるには規制緩和など国の後押しが欠かせない」と神戸市幹部は言う。国から「協力を」と言われても、市独自でできることは限られた。

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 国際港湾競争に生き残れるかどうか。それは神戸だけでなく横浜、東京、大阪など日本の主要港が抱えてきたテーマだった。

 同じ状況下、とりわけ神戸港が深刻な事態に陥ったのは、何も震災だけが原因ではない。国際貿易港を前面に打ちだし発展を遂げた港の歴史、仕組みがバックにある。

 神戸港の輸出入コンテナ貨物のうち、海外から入って、積み替え後そのまま海外へ出て行く貨物は三割近くを占めた。言わば「国際海上輸送の中継港」として成長した。船や貨物が神戸を選んだのは、港や荷役の質の高さが理由だった。が、アジア各港が急整備され、コスト安を競う時代が始まり、国際競争の波をもろに受ける格好となった。

 震災後、中継港を韓国や台湾、シンガポールに移した船は神戸に戻らず、輸出入コンテナ全体も震災前の七・八割で推移。港が抱えた問題は震災で一気に顕在化し、港湾荷役業だけでなく倉庫業にも影を落とす。

 神戸に本社を置く篠崎倉庫は、三つの倉庫のうち一つを生活用品を売るホームセンターに賃貸する計画を進める。

 「荷物は激減し、残る二倉庫で十分。海外だけではない。大阪に逃げた荷も戻らない」と、篠崎浩社長は言う。ネックは、終戦直後から隆盛を極め、航路が交錯する神戸に適用された水先人の乗船義務。ミナト神戸の華やかな歴史と表裏一体の制度のしがらみも、コスト競争で足を引っ張る。

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 今年五月、神戸港は復興宣言を出した。百七十を数えるバースはほぼ復旧し、船舶大型化に向け大水深バースの整備も進むが、ハードの復旧だけでは復興できない神戸港の現実を、震災は浮き彫りにした。

 国際港として外航船専用バースを設け、内航貨物とのやりとりを港内陸送でこなしてきた神戸。コスト削減のため、外航バースにも内航船が直接入る方式を探れば、陸送に携わってきた業者の存廃問題が浮かぶ。水先人問題にも雇用は絡む。整備が難しいのは、むしろ既存の組織や人が絡みつくソフト面だった。

 「調整は予想以上に厳しい」と市の山本信行港湾整備局長は言う。国際競争力アップを目指し関係二十六団体で「神戸港利用促進協議会」を続けるが、利害関係を解きほぐす手立てはなかなか見えてこない。

 コストの安い港へ。規制の緩やかな港へ。岸壁使用料や港湾用地賃貸料の軽減に市は乗り出すが、国際競争を視野に入れた構造再編は避けて通れず、それには港を支えた仕組みは巨大で、複雑すぎた。

 「震災を乗り越えた二十一世紀のアジアのマザーポート」。神戸港復興計画が掲げる将来像へ、巨大港湾の急転回は容易ではない。

1997/9/22
 

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