あの日の朝、口に入れたのは自動販売機の缶ジュースと冷えたおにぎりだけだった。心も体も冷たく、温かい食べ物を無性に欲していた。
「ラーメン作ってもらえへんかな」。二日後だったか、神戸市灘区永手町で飲食店を営む岸本清吉さん(59)は、近所の人たちから懇願された。電気はすぐに戻ったが、水もガスも、何より材料がなかった。それでも「どうにかしよ」と答えていた。
芦屋のわき水をポリタンクに入れ、トラックで輸送した。大阪で練炭としちりんを調達、明石の製麺所(せいめんしょ)に掛け合い、具にするネギとモヤシをバイク便で届けてもらうことにした。
早くも震災四日後、店を再開。水を張った鍋を幾つもしちりんにかけ、徹夜で湯を沸かし続けた。ボランティアの協力も得て、約一カ月間は二十四時間営業。行列は途切れることがなかった。
「何とかして温かいラーメンを食べてほしかった」と岸本さん。今も時折、あの時の客が店に立ち寄る。「ありがとう」の一言に、心が温まる。(写真部・三津山朋彦)
2004/1/16