神戸港にほど近いホテル。二百人近い参加者を前に、神戸ではなく、韓国・釜山港のPRが延々と続いていた。
昨年十一月、釜山港湾公社が主催したセミナー。日本で初の開催地に選んだのが、神戸だった。貨物の扱い実績やコスト比較、進出企業への優遇策…。参加者には神戸港の関係者も多く、複雑な表情も目立っていた。
「神戸と活発に交流すれば、互いに発展できる」。公社の秋俊錫社長は強調したが、社交辞令との受け止めも少なくなかった。「まるで殴り込みや…」。神戸市の担当者はつぶやいた。
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阪神・淡路大震災前の一九九四年。釜山と神戸はコンテナ貨物取扱量でそれぞれ世界五、六位と競合関係にあった。
九年後の二〇〇三年。釜山の五位は変わらず、取扱量は初めて一千万TEU(一TEUは二十フィートコンテナ一個)を突破。一方の神戸は二百五万TEUにとどまり、上位三十位にも届かなかった。
釜山が扱う海上貨物は、韓国全体の約八割。利用コストの安さを武器に各国から貨物を集め、別の海外航路に積み替える「トランシップ(中継)貨物」を伸ばした。
かつてはアジア各国からトランシップ貨物が集まった神戸。被災に加え、全国で六十以上もの地方港にコンテナ貨物の輸出入機能が整備された点も響いた。韓国の船会社はこうした港にも航路を張りめぐらせ、アジアだけでなく日本国内からの貨物も釜山へ流れた。
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勝敗は決したかに見える釜山がなぜ今、神戸でPRに乗り出したのか。ある船会社幹部は「危機感の表れ」とみる。
背景の一つに、中国の発展がある。中国北部からの貨物が釜山の成長の源泉だったが、今後、現地で港湾整備が進めば海外航路の大型船が寄港できるようになり、釜山積み替えは不要になる。
もう一つは、神戸が地位奪回に本気になり始めた点だ。国際競争力の向上を目指す国の「スーパー中枢港湾」に、大阪港とともに指定されたほか、釜山から地方港の貨物を取り戻す動きも始まった。
「神戸がコストを下げるなら釜山も-」。セミナーでけん制する、公社の秋社長。参加した流通企業の幹部は言い切った。「追求するのはコスト。合理化には、あらゆる手を使う。どの国の港かも、ミナト神戸へのノスタルジーも関係ない」
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阪神・淡路大震災で壊滅的な打撃を受けた神戸港。さまざまな復興施策が導入されながら、十年を経た今も貨物量は震災前の六-七割にとどまり、アジア各国との格差も広がっている。だが最近になって蓄積したノウハウや強みを生かし、地元の官民が新たな特色を打ち出そうとする動きも目立ち始めた。自分たちの手で、再び神戸港に活気を-。再興に挑む動きを追った。
2005/2/4