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遺族アンケート

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  • 慰霊のろうそくがともされた東遊園地に遺族が集う=2009年1月17日、神戸市中央区加納町6(撮影・藤家 武)
  • 阪神・淡路大震災で亡くなった人の名前を記した銘板。遺族の希望で慰霊と復興のモニュメント内に掲げられた=神戸市中央区加納町6、東遊園地(撮影・岡田育磨)

慰霊のろうそくがともされた東遊園地に遺族が集う=2009年1月17日、神戸市中央区加納町6(撮影・藤家 武) 阪神・淡路大震災で亡くなった人の名前を記した銘板。遺族の希望で慰霊と復興のモニュメント内に掲げられた=神戸市中央区加納町6、東遊園地(撮影・岡田育磨)

慰霊のろうそくがともされた東遊園地に遺族が集う=2009年1月17日、神戸市中央区加納町6(撮影・藤家 武)

阪神・淡路大震災で亡くなった人の名前を記した銘板。遺族の希望で慰霊と復興のモニュメント内に掲げられた=神戸市中央区加納町6、東遊園地(撮影・岡田育磨)

  • 慰霊のろうそくがともされた東遊園地に遺族が集う=2009年1月17日、神戸市中央区加納町6(撮影・藤家 武)
  • 阪神・淡路大震災で亡くなった人の名前を記した銘板。遺族の希望で慰霊と復興のモニュメント内に掲げられた=神戸市中央区加納町6、東遊園地(撮影・岡田育磨)

識者分析

神戸赤十字病院心療内科部長 村上典子さん
 震災の遺族に特化した大がかりな意識調査は、これまで見たことがなく、実態を知る手掛かりとして貴重だ。
 15年前、家がつぶれたことによる生活再建の大変さは注目されたが、グリーフ(悲嘆)ケアはまだ一般的でなかった。遺族が死別のケアを受ける機会は乏しかった。
 「家族、親族の死を受け入れられたと感じる」という設問で、「よく当てはまる」「少し当てはまる」の回答の合計が67.0%になっている。高い数値に見えるが、「受け入れる」は必ずしも「乗り越えた」ということではない。元通りになったわけではない。
 「一番支えてくれたもの」に家族が挙がった。一方で震災体験を話す相手は「友人」が最多で、家族よりも多かった。家の中で家族の死に触れることがタブーになっているケースは、震災の遺族に限らずよくある。家族の存在そのものが支えになる。ただし、震災の場合、15年の歳月がたっており、本当は家族同士で話せる方がいい。言葉にできないことがストレスになることもある。
 調査結果の数字は、遺族の状況すべてを反映してはいない。そもそも質問に答えるのがしんどい人に、書くことを無理強いはできない。それが大前提になる。
 「震災のニュースを見ないようにしている」という設問に、10人に1人が「よく当てはまる」と回答した。影響が今もあるということだ。アンケートに答えられた人の中でさえ、こうした数字が出る。数字がすべてではなく、数字からうかがえるものがある。そこに調査の意義がある。
 大事な人を亡くした経験を、なかったことにはできない。何かのきっかけで傷口が再び開くことがある。例えば、また別の家族をみとると、震災時に引き戻されるというように。そうしたことを周りの人が理解してほしい。(談)

■15年の状況

70代女性、次女(27)亡くす

 震災以来、時が止まったような毎日。亡き娘に私の気持ちや家の様子を書いて、受け取る人のいない手紙を何度も出しました。今は仏壇の引き出しに納めています

60代男性、長男(22)亡くす

 何故こうなったのか。子供には全く罪はないのであるから、すべては至らなかった親の所為か。どれだけ考えても答えはない

40代女性、夫(27)亡くす

 主人が亡くなっていなければ、震災がなかったら…とよく考え、今でも涙します。この人生を受け止められず、もがいている最中です

50代女性、夫(39)亡くす

 親、兄弟、親類、友人、ボランティア等々、今なお支え続けてくれます。しかし、10年を過ぎた辺りから心身共にしんどい部分があり、喪失感は今の方が強いかもしれません

40代女性、夫(36)亡くす

 毎日、夫がいないので仕事をしているし、とにかく自分が元気でないと子供にも影響があると思い、明るくと思ってやって来ましたが、心の奥のつらい思いを理解してくれる人はわずか。同じ町に住む人でも「15年もたっているのにまだ震災の事を言ってるの!」と直接言われた

■支えてくれたもの

60代男性、妻(47)亡くす

 震災時、娘2人(中3、高3)の心の傷を親としてどのようにケアをしたらよいのか、専門書を読んでいましたが、結果、自分自身の癒やしになっていた

60代女性、母(83)亡くす

 実家をなくし、母を亡くし、何もかも無(な)くした感じでした。自分の家を無くしたことも大したことに感じられず「もう何もないわ」と言ってしまいました。その時、高1だった娘が「私らはどうなんのよ!」と怒りました。ああ私には、まだする事が残ってると気付かせてくれました

60代女性、息子(25)亡くす

 惜しからん命だった私が、孫の成長を見たいと思えるようになりました

60代女性、母(73)を亡くす

 夜になると眠れない状態が続き、医師に自律神経のバランスが崩れていると言われました。主人の勧めで小型犬を飼って癒やされ、やっと人並みの睡眠もとれるようになりました

80代男性、妻(65)亡くす

 生き埋めになり、妻の死に目にも会えなかった。震災の紙芝居の制作と、亡くなった6434名に対する供養のため、連鶴作品6434羽を作ることが支え

60代女性、夫(59)亡くす

 全焼し、区画整理の後、お店を出しました。その仕事が(家族の次に)第2の支えになりました

70代男性、母(83)亡くす

 亡母の庭石が神戸市の手で須磨浦公園駅前の庭園に設置されており、折にふれて親せきが集まる

40代男性、長男(7)長女(5)亡くす

 (支えてくれたものを)一つだけと特定できるものではありません。複合的なものです。色々(いろいろ)な事、色々な人に支えられているのです

60代男性、長男(23)亡くす

 墓参りをすると、新しい花や、故人が好きだった缶ビールが供えられているときがあり、知らないところで故人を思ってくれている人がいることに涙する

70代男性、三女(20)亡くす

 亡き娘の友人が命日、誕生日、お盆に集まってくれ、元気づけてくれます。家族と同じ思いで接してくれます

■伝えたいこと

70代女性、次男(22)亡くす

 悲しみを負った人々がたくさんいらっしゃるので、自分1人の悲劇と考えないで、息子に誇れるように生活してゆかねばならないと考えています(それは立派なことをするという意味でなく笑顔のある生活というだけでも)

30代女性、姉(22)亡くす

 姉のことを思い出すと辛(つら)いので思い出さないようにしている。今でもはっきりと色んなことが思い出されるから、あえて思い出したくない。忘れてはいけないけど、思い出さないようにしている感じ(許してね)

30代女性、祖母(76)亡くす

 震災直後は助かったけど、震災を機に体調を崩し亡くなった方もたくさんいることを忘れないでほしい。近所にもおられます。私の母も震災で肋骨(ろっこつ)骨折。その後、持病が悪化して他界しました。私の悲しみはまだ癒えません

60代男性、息子(20)亡くす

 地震国だと言っていながら発生時の対応がまだ不充分と思われる。地方が置き去りにされている

60代男性、長男(17)亡くす

 古い木造住宅の怖さを忘れかけているように思う。耐震改修をもっと進めるべきだ

50代男性、両親亡くす

 両親の家が耐震対策のある建物だったらと残念である。学校等がいまだに耐震対策ができていないのは大きな問題

70代女性、夫(66)亡くす

 東遊園地の竹筒とロウソクの灯は、私たちにとって本当にありがたいです。皆さんに忘れてもらいたくないので

2010/1/8

 

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