あの朝、自宅を飛び出すと、不気味な静寂が辺りを包んでいました。しかし、「みんな大丈夫か」と叫ぶと、四方八方から「助けてくれ!」「ここだ!」の声。無我夢中で家の下敷きになっている人を助け出しました。そのとき、東の方で火の手が上がったのです。
でも、こちらは救助が優先。若者と協力して家の中をかき分けました。午後3時ごろでしょうか。火が近くまで迫ってきました。消火器で消せるわけもなく、消防機能もまひ状態。「止まってくれ!」。ただただ天に祈りました。
幸い、自宅から100メートルほど先で消えましたが、生まれ育ったまちが焦土になったショックは大きかった。5年ほど眠られない日が続き、その後はがんを患いました。生死の境をさまよい、リハビリ中、意を決して絵筆を取りました。思い出したくはない光景でしたが、「後世に残さなあかん」と心を鬼にしました。
15年がたち、まちもすっかり変わりました。若い世代が増え、子どもたちの元気な声を聞くと自然に笑顔になります。先日、水害に遭った佐用町に行き、悲嘆に暮れているおばあさんに声をかけてきました。「生きていればいいことがあるよ」と。(聞き手・安福直剛)
阪神・淡路大震災から15年。兵庫県立美術館で17日から始まる「震災の絵」展(神戸新聞社、NHK神戸放送局など主催)には400点を超す作品が寄せられた。その中から7点を作者の言葉と共に紹介する。
2010/1/14