2階で寝ていた私はひどい揺れで目を覚ましました。飛んで出た廊下はふさがれていたので、窓を開け、庭に生えていた竹を伝って下りました。
出勤準備のため、主人は1階にいました。1階はつぶれ、いくら呼んでも返事はなし。「ここにいては危ない」と、寝間着のまま近くの高校へ避難しました。満月のような月が晃々(こうこう)と照って、光と影がくっきりとした冷たい朝でした。
明るみだして家へ帰ると、寝ていた2階部分もつぶれ、形がなくなっていました。「もう息絶えているかもしれない」。寒さをしのぎながら、ぼうぜんとたたずむだけでした。
近所の家も崩れ落ち、しばらくは誰の助けもありませんでした。手がすいた近所の人や息子が救出してくれたのは夕方だったと思います。
不思議と涙は出ませんでした。主人の葬儀と納骨を済ませ、池田市内の避難所のお風呂場で一人になるまでは。
8カ月間、避難所生活を送りました。今は声をかけてくれた長男のところで世話になっています。
無為になった日々を支えてくれたのは、女学生のころから好きだった日本画でした。おおげさにはしたくない。記憶をつないだ簡単な絵にして伝えます。(聞き手・貝原加奈)
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「震災の絵」展は2010年1月17~30日、神戸市中央区の兵庫県立美術館で開く。
2010/1/7