横浜で「街を変えよう」
話を聞き終えて、江戸時代の火消しの話が頭をよぎった。江戸は何度も大火に見舞われた。
「その中で、町民が結束していた町は被害を小さく抑えられたと聞く。こういうことなのか」
2009年11月のことだ。横浜市で制服の販売会社を経営する植村保男さん(61)は、一緒にいた高橋克明さん(61)と顔を輝かせた。高橋さんは川崎市で造園業を営む。
日本赤十字社の防災ボランティアリーダーを務める2人は、研修で淡路島の北淡震災記念公園を訪れた。そこで野島断層保存館の米山正幸さん(44)の話を聞いた。
東海地震、神奈川県西部地震、首都直下地震。神奈川では大地震への備えが「喫緊の課題」とされ、植村さんたちも救急講習や防災マップづくりなどに取り組んできた。だが地域の防災力が高まっている手応えがない。住民の反応も鈍い。思い悩む2人の心に米山さんの語りが響いた。
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「北淡町では阪神・淡路大震災で39人が亡くなり、約300人が生き埋めになりました」。そう言って米山さんは植村さんたちに、300人の救出劇を語った。午前5時46分の地震発生から約6時間の出来事である。
誰がどこに寝ているのか。早朝、誰が起きて台所にいるか。住民たちはそれぞれの家の情報を持ち寄り、がれきの下で消えそうになっていた命を次々助け出した。
300人全員救出の圧倒的な事実が、植村さんと高橋さんの胸に迫る。大震災では、ぼうぜんと人々が立ちつくす光景に自分たちを重ねていた。「この家はばあさんが玄関脇に寝ているぞ」「子ども部屋は台所の上だ」。声をかけ合い、みんなでがれきと格闘する姿は描けなかった。
理想とするものを探り当てた思いだった。
とはいえ、世代を超えて住民が強く結びついている北淡と同じことが、横浜のような都会でできるだろうか。そんな不安を米山さんが吹き飛ばした。「自分たちの命は自分たちで守らなきゃ。誰も守ってくれませんよ」
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昨年3月、植村さんたちは横浜での地区リーダーの研修会に米山さんを招いた。県内から約300人が集まった。
話を聞いているうちにリーダーたちの顔に赤みが差していく。これまでは大震災の経験を聞くたび、不安や危機感が募ったが、今回は違った。「北淡町に近づけるようにやってみよう」と声が上がった。
何から始めればいいだろうか。植村さんと高橋さんは言った。「付き合いの少なかった隣人の呼び鈴を鳴らそう」
今までの取り組みより分かりやすく、みんなで踏み出せる予感があった。「ピンポン」と玄関の呼び鈴を鳴らす。そしてあいさつを、言葉を交わそう。それが防災なんだ。
その先に北淡の光景が広がる。江戸の町へとつながる光景が。
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震源地の町、北淡町。今は合併して淡路市となった小さな町の経験が各地で人々の背中を押す。次回は防災の先進地、浜松市に吹いた風の話をしてみたい。(宮本万里子、三島大一郎)
2011/1/12