阪神・淡路大震災で被害が大きかった旧北淡町の富島(としま)地区で、北淡診療所長の井宮雅宏さん(52)は仮設診療所を開設した。そして負傷者の手当てとともに、亡くなった人の検視に当たった。
妻を亡くした男性がぽつり、ぽつりと語り始めた。「1メートルも離れてないとこに寝てたんや」。やがて言葉があふれ出す。「先生、もっと聞いてくれへんか」
これを機に遺族と向き合い、話を聞くようになる。そして遺体の状況と照らし合わせて整理した。データは地震学者の注目を集め、震災の報告書に盛り込まれる。災害によって命が奪われる状況の詳細な記録はこれまでなかった。住民と深く結び付いた医師が検視に当たったからこそ生まれた貴重な記録である。
データは「井宮メモ」と呼ばれ、防災や災害医療の現場に新しい風を吹き込んだ。
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北淡の体験を全国に伝えてきた現淡路市職員の富永登志也さん(53)は、講演先で「今も北淡町は震災の時と変わらないか」と聞かれ、「残念ですが、町は変わりました」と答えたことがある。人口が減り、町並みが変わった。住民のつながりも薄れた。
16年前、住民を突き動かしたのは何だったのか。消防団分団長の高田一夫さん(64)は、助けを求める声を聞き漏らすまいとがれきの中を駆け回り、団員に指示を飛ばした。プロパンガス販売店を経営していた高田欣二さん(79)は「火災になれば大惨事になる」と、約800世帯のガスボンベの元栓を閉めて回った。
災害時のマニュアルなどない。人々を動かしたのは「自分たちの町を守りたい」という思いだった。町を守る、愛する気持ちだった。
その思いは今も残る。今、町が直面しているもの。それは災害ではなく、地域の危機である。
高田一夫さんの長男賢哉さん(39)は震災の2年後、故郷に帰ってきた。町に活気を取り戻そうと、地元のイカナゴを主役にしたイベントを企画する。「新しい世代の発想で盛り上げていきたい」
富永さんは淡路市の特命参事として、明石海峡大橋の無料化実現に奔走する。「無料化で神戸の人たちを呼び込みたい」
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18日、北淡震災記念公園の米山正幸さん(44)は、視察に訪れた人たちを前に講演した。19日は広島に出かけて話をする。震災でこの町に起こったこと、この町が乗り越えてきたことを語る。
それは自分たちの原点を思い起こす作業でもある。愛する町に風を吹き込み、新しい町をつくっていくために。
(宮本万里子、三島大一郎)
=おわり=
2011/1/19