2000年1月28日。鳥取県日野町の文化センターの一室で、20代の県庁職員がノートにペンを走らせていた。
当時、鳥取県消防防災課にいた村上隆史さん(39)である。この日、センターでは住民向けの防災研修会が催され、講師に淡路島の旧北淡町職員、富永登志也さん(53)が招かれた。
村上さんにとって、初めて触れる阪神・淡路大震災の体験だった。住民の目線でとつとつと語る富永さんの話は堅苦しさがない。「そうか。ご近所力が役に立つのか」
被災という非日常の事態を、日常の「お付き合い」で乗り越える。人のつながりが命を守る。そんなメッセージがすんなり入ってきた。
ただ自分が災害に直面するイメージまでは描けなかった。その村上さんが9カ月後、非日常の事態に放り込まれる。
10月6日午後1時半。日野町や村上さんの実家がある境港市が震度6強の大地震に襲われた。鳥取県西部地震である。
村上さんは鳥取市の県庁2階で震度4の揺れに見舞われた。すぐに「西部の被害がひどい」との情報が入る。「ただごとではない」と思ったが、頭の中が真っ白で足が動かない。直後に淡路の富永さんから「足りないものはないか。大丈夫か」と電話があったが、応じる余裕がなかった。
日々、被害情報の収集に追われた。だが、今振り返ると「混乱した」という印象しかない。
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村上さんはその後も主に防災畑でキャリアを積み、災害対策本部室の再整備や防災計画の見直しなどに携わった。
2009年4月、高齢化や過疎化など中山間地の課題に取り組む「島根県中山間地域研究センター」に派遣された。期間は2年。研究員として、迷わずテーマに選んだのが「防災」だった。
通常考えられるのは、人口が減っている中山間地をまず活性化させ、それから防災の意識を広げるという流れだが、村上さんの発想は逆だ。
「防災が人をつなぐ」。防災の取り組みが住民を結び、地域を元気にする。防災は命を守る。だからこそ共有しやすい。
昨年の秋、自ら研究会を立ち上げた。年が明けた12日、島根県大田市で開いた会合には、自治会長や行政職員ら約30人が参加した。その輪の中で、村上さんは「悩みを共有し、一緒に考える場が大切だ」と語った。
山陰地方はこの冬、観測史上最大の豪雪に見舞われた。「誰もが災害と無縁ではない」。地震、豪雪、風水害。被災の苦難に立ち向かう。キーワードは人のつながり。
鳥取の若き防災担当者の中に北淡の体験が息づく。(宮本万里子)
2011/1/15