連載・特集 連載・特集 プレミアムボックス

(6)語り部継承 「生き残った者の務め」
  • 印刷
赤いファイルを手に体験を語る米山さん。「一人でも多くの人に伝えたい」=相生市立那波小学校(撮影・大山伸一郎)
拡大

赤いファイルを手に体験を語る米山さん。「一人でも多くの人に伝えたい」=相生市立那波小学校(撮影・大山伸一郎)

赤いファイルを手に体験を語る米山さん。「一人でも多くの人に伝えたい」=相生市立那波小学校(撮影・大山伸一郎)

赤いファイルを手に体験を語る米山さん。「一人でも多くの人に伝えたい」=相生市立那波小学校(撮影・大山伸一郎)

 大きく膨れ上がった1冊の赤いファイルに被災した旧北淡町民の思いが詰まる。北淡震災記念公園の米山正幸さん(44)が聞き取った阪神・淡路大震災の記録である。

 震源地の体験を全国へ伝える。米山さんはその役目を旧北淡町の職員で、今は淡路市特命参事の職にある富永登志也さん(53)から引き継いだ。

 2005年秋のことだ。米山さんは大阪市のホテルで中学生に震災について語った。涙を流しながら聞き入る生徒の姿は今も忘れられない。もっとたくさんの話を伝えたい、もっとたくさんの声を届けたいと思った。

 北淡に戻って、あらためて被災体験の聞き取りを始める。それをファイルに整理して収めた。救助に奔走した人、救助された人。赤いファイルはどんどん膨らんだ。

    ◆

 米山さんは被害の大きかった富島(としま)地区に住み、消防団員として救助活動の最前線にいた。語り部のバトンを渡した富永さんは言う。「富島と消防団。米山にしか語れないことがある」

 あの朝、米山さんは自宅のマンションから妻と娘を連れて避難所に行った。知人が駆け寄ってきた。「実家がつぶれているらしいぞ」。目の前が真っ暗になる。

 富島地区西部の実家に向かって駆ける。道沿いの家が軒並みつぶれている。実家の屋根が落ちている。そばに人影が…。いた、父と母、祖父母の姿もある。生きていた。

 無事を喜び合った米山さんは消防団の詰め所に向かう。法被を着てヘルメットをかぶる。「助けを待っても間に合わん。できることをやろう」と声をかける。それから無我夢中で生き埋めになった住民を引っ張り出した。

 震災の翌日、亡くなった人たちの合同葬儀に出席した。会場に夫と2人の子どもを亡くした女性の姿があった。両脇を抱えられてやっと立っている。見ていられなかった。「もうこんな家族を出したくない。出してはいけない」。丸1日、たくさんの生と死を目にした米山さんの心が叫んだ。

    ◆

 今月13日、米山さんは赤いファイルを携えて、兵庫県相生市の市立那波小学校(なばしょうがっこう)を訪れた。これまでの講演回数は360回を超える。この日は児童や保護者ら約100人が集まった。いつものように震災支援への感謝を伝える。

 感謝。それは富永さんから継承した北淡の語り部役の心構えだ。

 きょう17日、米山さんは北淡震災記念公園の職員として追悼行事を支える。「生き残った者の務めとして、これからもこの町で起きたこと、この町が乗り越えてきたことを伝えていきます」

 震災16年の朝の誓いである。(三島大一郎)

2011/1/17
 

天気(9月8日)

  • 33℃
  • ---℃
  • 40%

  • 33℃
  • ---℃
  • 50%

  • 34℃
  • ---℃
  • 20%

  • 34℃
  • ---℃
  • 40%

お知らせ