一人暮らしのお年寄りが、望まない引っ越しを迫られる不安はいかほどだろう。阪神・淡路大震災の被災者向けに、自治体が最長20年の契約で民間などから借り上げた復興住宅は、2015年度から順次、返還期限を迎える。
15世帯が暮らす神戸市兵庫区荒田町のマンション「サンハイツ荒田」を訪ねた。
「みんな家族みたいに仲がいいのに、バラバラになるなんて。ずっとおらしてほしい」。吉田須磨子さん(83)は訴えた。
昨年夏、神戸市から契約期限が7年後に迫ったことを告げる文書が届いた。市は107団地3805戸あるすべての借り上げ住宅について「延長せず」の方針を打ち出した。文書には転居が必要で、市があっせんする、ともあった。
住んでいた長屋は震災で全壊したが、跡地に建ったサンハイツに入居できた。ここでの生活は60年になる。花が好きで、玄関にある花壇は近所でも評判がいい。「娘も近くにいる。せめて5年、延長してもらえたら」。悲痛な願いだ。
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「家族みたい」というサンハイツの住民の多くは、震災前、同じ長屋に住んでいた。16年前のあの日。吉田さんは壊れた長屋から抜け出し、「みんな出てきてー」と最初に叫んだ。お互い顔見知り、という住民総出の救助活動が始まった。
約3時間、生き埋めになった女性(76)は、口に砂が入り、助けを求めようにも声が出なかった。「ここに埋まっているはずや」と機転を利かしたのは、近くの食堂のおばちゃんだった。
そのおばちゃんに呼び止められ、一緒に女性を捜したのが安田秋成さん(85)。震災後は、ポートアイランドの仮設住宅に移ったが、4年後、サンハイツの真向かいに建った借り上げ復興住宅に夫婦で入居した。
「地域のつながりがあったから、命が救えた。独居死は出したくない」と語る安田さんは、今も折を見て、ほかの入居者を訪ねる。大みそかにはおせち料理を配って回った。「住まいは雨露をしのぐだけの場所じゃない。住民同士、少しずつつむいできた細い糸がまた切られるのか」
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入居から14年。サンハイツには、旧住民と入れ替わるように新しい顔も加わった。
安原清次郎さん(89)は3年前、神戸市北区から引っ越してきた。「終(つい)のすみか」のつもりで、一軒一軒あいさつして回った。
身寄りは海外に住むめいだけ。自分が死んだら、彼女に連絡してほしい。そう書いた紙が、居間の壁に貼ってあった。安田さんは「体調が悪かったら、ベランダにタオルを投げてください」と声をかけてくれた。
神戸市内の借り上げ住宅に一人で暮らす80歳以上の高齢者は600人を超える。それぞれに、築き上げた暮らしがある。「どうせ、そう先は長くないよ」。不安をかき消すように、安原さんは笑い飛ばした。(岸本達也)
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阪神・淡路大震災の教訓として強く叫ばれたのはコミュニティーの大切さ、助け合いの心だった。発生から間もなく16年。地域の絆はつながったままなのか。
国の内外を問わず、毎年、自然が甚大な被害をもたらす。シリーズ「被災地を歩く」は、そこに生きる人々が災害とどう向き合い、どんな明日を展望しているのかを描く。
2011/1/11