神戸市東灘区。港を望む、「山の手」と呼ばれる高台の団地を歩いた。11棟のマンション群。少しくすんだ灰色の壁が、築40年の歳月を物語る。昨年9月、このマンションの一室で老夫婦が亡くなった。2人の遺体は、死後1週間以上もたって見つかった。
「親しい人はだれもいなかったと思う」。異臭に気付き、警察に通報した男性(86)が困惑した顔を浮かべる。5階建てに30世帯。男性は老夫婦のすぐ上の階に住んでいたが、話した記憶はほとんどない。
警察によると、72歳の妻には認知症の症状がみられ、78歳の夫の介護を受けていた。室内で先に倒れたのは夫。妻は助けを呼べないまま、亡くなったようだ。
玄関ドアの前に積まれた、1週間分の新聞を特に気にする人はいなかった。
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「ショックでした」。東灘区を拠点とするNPO法人「コミュニティ・サポートセンター(CS)神戸」の理事長中村順子さん(63)は、振り返った。東灘区内では3週間前にも、別のマンションで80代夫婦の遺体が死後数日後に見つかる出来事があった。「震災の教訓を生かしきれてない」。被災地の、そして自分の責任のようにも感じた。
阪神・淡路大震災の翌年、CS神戸を立ち上げた。震災のあった「ボランティア元年」から4年後、県内で最初にNPO法人の認証を受けた。いわば震災の申し子だ。
「地域の助け合い」をモットーに、高齢者の働く場づくり、交通の不便な住宅街でのバス運行、ミニデイサービスなど、これまでに取り組んだ事業は約140に及ぶ。
中村さんが神戸市東灘区に転居してきたのは約30年前。「山の手」の住民たちが年老い、坂のきつい町から去っていくのを見てきた。助け合っていけば、ずっと住めるのに-。抱いてきた思いが活動の原点。それだけに、相次いだ老夫婦の死に心を痛めた。
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住民にも高齢化への危機感はあった。70代夫婦が亡くなったマンションに老人会ができたのは11年前。「お互い、助け合おう」と定期的にお茶会も開いた。
だが、「(亡くなった)夫婦の顔も知らなかった」と肩を落とす自治会長。自らも80代と年を重ね、互いに触れあう機会も減っていった。「今回のことをきっかけにもっと近所付き合いを増やしたい」と、名前やかかりつけ医を記せるカードを住民に配るつもりでいる。
中村さんは動いた。ニュースの直後、24時間の「見守りホットライン」を事務所に10日間設け、電話番号を公表した。「どんな小さな異変でも電話を下さい」と呼びかけた。
すぐに「高齢の母と連絡がとれない」と、離れて暮らす息子から相談があった。後に母は入院していたことが分かった。「介護サービスを受けたい」「娘と折り合いが悪い」。予想外の電話もあったが、同時に、周囲に相談できない孤独な住民の存在を知る。
中村さんは地域の交流拠点のような場を複数つくろうと考えている。訪れれば、だれかに相談でき、解決への道筋を示せる居場所。発足15年の節目、CS神戸の新たな挑戦となる。(安藤文暁、岸本達也)
2011/1/14